[Survivor Story] Miki Yakata

PiNK Winter 2020 TEXT: Miki Yakata (Japanese Text Only) これが私の生き方「自分らしさ」を忘れない 私は、大丈夫! 私は、病気にはならない。このまま変わらない生活が続いていくんだと思っていました。そんな矢先、2018年の冬、25歳の時に乳がんに罹患しました。症状はしこりがあるだけなのに、痛くも痒くもないし、何より体調も良いのに、診断結果はがんだった。診断された時は、カラダとココロのすれ違いにすごく複雑な気持ちを覚えました。 病気に気づいたきっかけは、何気なくやってみた「セルフチェック」。2017年、フリーアナウンサーの小林麻央さんが乳がんで亡くなったというニュースをテレビで知りました。乳がんは、自分には関係ない。あと20年後ぐらいから意識して対策をしていけばいいことだと、他人事のように感じていましたが、麻央さんの訃報を知った時、自分の中にあった「私は大丈夫!」という思いが「私は大丈夫かな?」という疑問に変わりました。疑問に思ったものの、今すぐ病院に行くのか?いや、それは違うと思い、まずはセルフチェックをしてみることにしました。 お風呂に入ったときに、胸に異常が無いか手で触って調べました。初めのうちは、「何をやってるんだろう、自分」「何も無いに決まってるのに」という思いがありましたが、左胸を調べていると固いしこりが胸の左上にある事に気づきました。触ってすぐにしこりだとわかる大きさで、すごく固い。どれくらい固かったんですか?とよく聞かれますが、例えでいうと「ビー玉」の固さでした。それでも、痛みが無いことに少しホッとして、しばらく様子を見ることに。1週間後、再び気になって触ってみるとやはり変わらず、しこりがある。嫌だけど一度検査をしてもらおうと思い、病院に問い合わせましたが、タイミングが悪く予約が取れませんでした。そこで、「しこりはあるけど痛くないし、まあ大丈夫か。時間がある時に行こう」と言い訳をつくり、行かないことにしました。 行動することの大切さ 2017の年末、仲の良い友人の集まりに参加したときにしこりのことを話すと、友人から「明日にでもちゃんと病院に行ってみてもらったら?」と言われ、「そんな、大げさだよ」とも思いましたが、何故かその時は素直に行こうと思い、翌日病院へ行きました。その結果、検査でステージ1の乳がんだということが分かったのです。その時、「大丈夫なんてない」ということと、「できる事から行動することの大切さ」を実感しました。 手術 乳がんだと分かってから、「仕事は?手術は?治療は?」と、考えることが増えました。まずは、再度検査です。マンモグラフィー、エコー、MRI検査、そして脇のリンパ節への転移を調べるセンチネルリンパ生検。病気だと分かっていても、さらに細かく検査をすることが、当時は嫌で嫌で仕方ありませんでした。「でも、やらなければ。わからないこともあるから受け入れなきゃ」と自分に言い聞かせていました。検査の結果、リンパ節への転移が見つかったことでステージ2bとなり、手術の選択をする時が来ました。見つかった当初は、全摘はしなくてもよいと思っていましたが、実際に転移していたことやAYA世代の若年性の乳がんであることから、全摘という言葉が現実味を帯びてきました。 乳腺外科の担当医から手術のパンフレットをもらい、帰宅して読みました。とても分かりやすくまとめられていて、不安と理解を繰り返しながら読んでいましたが、手術方法や再建の選択について読んだ時に初めて「やっぱり胸を切るなんて恐ろしいことは、嫌だ!私は絶対したくない!」と泣いてしまいました。しかし、病気を家族や友達に打ち明けて様々な意見をもらったことも思い出し、「このままじゃダメだ、決めなきゃ!」と決意を固め、全摘手術を選択しました。 嫌だと思うとすぐに落ち込む事ばかりを想像してしまうのですが、母に「もし手術したら再建もするし、あんた胸小さいから大きく作ってもらえばいいんやないの?」と言われたこともありました。「娘に向かってなんてこというんだ?」と思う方もいるかもしれませんが、「手術はすることになるし、もし再建するなら今より大きな胸も確かに良いかも!」とポジティブに考えられる自分がいました。結果的に、遺伝子検査や再建、その後の治療など、様々な選択を限られた時間で決断しなくてはいけないと知ったことで、再建はゆっくり時間をかけて考えれば良いと思うようになり、手術は全摘のみを選択しました。そこからは、片方の胸がないイメージトレーニングを行う日々が続きました。 治療開始 手術後、3週間ほど経って病理検査の結果が分かりました。結果は、ステージ3a。想像していた結果ではなく、ただただ驚きました。今まで主治医の先生と話して泣くことはなかったのですが、正直、その時は涙がこぼれそうになったのを覚えています。ご飯も食べれるし、仕事もできるし、好きな音楽も聴けるし、アニメだって観れて何も変わらない生活なのに、なんで。 「今の自分を受け入れるしかない」と思い、今後の治療について説明を受けると、抗がん剤から始まり、放射線治療、ホルモン療法というフルコース。「こんなに治療をして逆に私の身体は大丈夫なのかな?」と不安しかありませんでしたが、きっといつか治療が生かされる日が来ると考え、治療を受けました。 抗がん剤 抗がん剤治療がスタートしてからは、脱毛の悩みが最初の壁だと思っていましたが、そこは違いました。脱毛以外に、副作用で乗り越えなければいけないことがたくさんありました。実際のところ、髪が無くなる覚悟はしていて、前もって対策やウィッグなどについてインターネットで調べて準備をしていたので、治療開始から10日ほどで抜けた時も乗り切ることができました。ただ、髪が抜けた頭をどうケアすべきか、抜けてからしか分からないものです。頭皮への刺激が寝られないくらい痛かったり、お風呂を上がってから頭をしっかり拭いたのにも関わらず、気づいたら汗が滝のように背中に垂れていたり。時期も夏だったこともあり頭皮の匂いが信じられないくらいのもので、どうすれば良いのか全く分からなくて、ただ嘆いていました。 治療の後は、ぐったりして起きれない事や、むくみが全身に出てしまう事、爪や皮膚の変化、食べ物の味覚や匂いが変化してしまった事、生理が一時的に来なくなってしまった事、消化器官も薬の影響で何日も便が出なくて苦しい日々が続くなど、次から次に起こる変化に動揺することもありました。 アピアランスサポート 治療の間、悩みが絶えない中で私にとっての心の支えになったのは、アピアランスサポートの存在です。 病気を公表した際に、NHK名古屋からのお声がけで「#乳がんダイアリー矢方美紀」という番組がスタートしました。リアルに自分が悩んでいる事や思っていることを映像として日記形式でHPに更新していく。自分もわからないことだらけで不安だけど、番組を通して1人でも多くの方に乳がんという病気について知っていただきたい。病気に罹患しても、夢や諦めたくないことを日々続けているこんな人もいる、ということを番組を通して多くの方に知っていただけるのかなという希望もありました。 映像日記の中で、脱毛の悩みを打ち明けた際に出会ったのがNPO法人全国福祉理美容師養成協会、通称「ふくりび」さんです。番組のディレクターさんから「矢方さんがウィッグや髪の毛の悩みについて相談できる場所が愛知にもあるので、行ってみませんか?」というお言葉がきっかけで、ふくりびさんの施設「あぴサポあいち」にお邪魔したのが始まりでした。そこには、理事長の赤木勝幸さん、事務局長の岩岡ひとみさんがいました。普段の悩みを打ち明けたとき、正しいと思ってやっていたことが実際は間違っていたことや、ウィッグを使う際は自分に合うものを選ぶことの大切さを教えていただきました。 ふくりびさんのウィッグもそのときに初めて被りました。家族以外の人に脱毛してしまった頭を見せる抵抗がありましたが、説明やウィッグのお手入れをしてくださっているうちにだんだんと心の壁がなくなって、「自分でなんとかしなきゃ。誰かに悩みを相談したら迷惑だ」と今まで思っていた気持ちがすっとなくなったのを覚えています。 このときから、私の頭に合わせてウィッグをつくっていただいたり、ファッションに合わせて長さやカラーもアレンジしていただいたりしました。その日に合わせてウィッグを変えることで、脱毛中もモチベーションを上げて過ごすことができましたし、髪だけでなく、ネイルやメイクの方法についてもアドバイスをいただきました。抗がん剤治療中に友人の結婚式への参列があり、ウィッグのヘアアレンジを普通の美容院でお願いするのは少し勇気がいるし難しいと感じていた時も、ふくりびさんでヘアセットをしていただいた時は本当に嬉しくて、ウィッグを気にすることなく楽しい時間を過ごす事ができました。普段の生活で気をつけることや、心の悩みを聞いてくださったことも、自分の心の支えになっています。 続く治療 抗がん剤と放射線治療を終了し、現在はホルモン療法を行っています。ホルモン療法では1日に1錠、薬を飲み、3ヶ月に1回お腹に注射をしています。治療は意外と楽かと思っていましたが、この治療は10年間。あと9年ほど続きます。 ホルモン療法が始まってから、ホットフラッシュと言われる現象が常に起こっています。急に体がガッと熱くなってきたり、イライラしたり。そんなに気にならないだろうと思っていましたが、移動中に汗だくになってしまったり、温度調節が上手くできず、周りと体感温度が違ったりする事はとても大変です。こればかりは「周りが気を使ってよ!」なんて言えないですし、言ってしまうのは身勝手だと思うので、普段は薄着で着脱できる服装や冷たい飲み物を常に持ち歩いて、体の中から冷やして体温を下げたりしています。病気にならないとわからない悩みもあるんだと、すごく感じています。 仕事 病気になってから色々な悩みや心配はありますし、正直ゼロになることはないと思います。でも、今も前を向いて進めているのは、変わらず仕事ができている事が関係していると思います。 「さあこれから声優の夢へと本格的に向かっていこう!ナゴヤから自分を発信するんだ!」と思っていた矢先に乳がんに罹患し、「夢も希望も…絶望的だな」と思っていました。もう仕事は絶対できないだろうと思い、これからどうしたら良いのかもわからなくなりました。そんな時、悩みを主治医に話したところ「治療をしながら仕事もできますよ、仕事は辞めなくても大丈夫ですよ」と言ってくれました。その一言が私に希望を与えてくれて、治療はどうなるか分からないけれど、無理しない範囲で仕事を続けることにしました。 乳がんだと分かってからレギュラー出演していたラジオやお仕事を1ヶ月ほどお休みしていましたが、退院した当日にZIP-FM「サブカルキングダム」というラジオの収録現場に見学で参加し、1週間後には、この番組で仕事に復帰することができました。現在もこの番組に出演させていただいています。 「無理はしない」を一番に体調とスケジュールを上手く調整して、今も変わらず仕事を続けています。その中で自分のことを話す機会も増え、初めはどのように伝えれば良いのかとても悩みましたが、この1年で知り合った同じ乳がんサバイバーの方とお話した際に「美紀ちゃんの発信が私の希望だし、本当に嬉しいの!ありがとう!」と言っていただいた事がありました。 私は何も持っていないけど、こうして出会えたことや、抱えている同じ悩みや思いを、より多くの人に知ってもらうきっかけにこれからもなれたらいいなと思っています。 自分がやりたいことに挑戦する 今、仕事もプライベートも好きなことを日々追いかけています。きっとこの先も病気は切っても切れないものだと思いますが、今の私だからこそできることを発信したいです。その中の一つがファッション。私は元々、ファッションが好きですが、乳がんがあってもなくても関係なく、オシャレできるアイテムが必要だと思います。例えば、下着。胸を手術したことをきっかけに、今まで使っていた下着を処分しました。今はカップ付きのキャミソールを2枚重ねて過ごしています。自分にとってもそうですし、誰かが笑顔になるきっかけづくり、これがあってよかったと思えるモノ作りに挑戦していきたいです。これが私にできる事なんだと思います。 未来 1秒先も分からない日々が、これからも続きます。この1年で私はたくさんの方に出会い、支えられ、成長することができました。きっと1人ではここまで変わる事ができなかったと思います。日々の中で当たり前のように起きる出来事をそのままにするのではなく、変化を恐れず、これからも矢方美紀にしかできない事やモノを生み出していきたいです。 矢方 美紀 Miki Yakata 1992年6月29日 大分県出身 7年半所属したSKE48を卒業後、タレントとして活動を始める。 2018年4月、25歳の時にステージ2Bの乳がんにより、左乳房全摘出・リンパ節切除の手術を受ける。 「自身の身体を知る」ことの重要性を伝えるとともに、がんになっても夢を諦めない、前向きに生きている姿を日々発信している。 現在は、テレビやラジオ出演・ナレーション・MC・講演会当、名古屋を拠点に全国的に活動中。

[Survivor Story] Yukiko Ohta

(Japanese Text Only) キャンサーギフトという言葉はがんになったからこそ得られたものという意味で使う言葉です。告知から2年経ち、気が付いたら、今がんになったからできるようになったこと、出会えた人、新しい視点がどんどん増えていたことに気がつきました。 私のがんが発見されたのは2年前の3月の終わりのことです。それまで育児で仕事を離れていましたが、再び仕事を始めたのをきっかけに検診を受けた時でした。最近少し貧血のような倦怠感があって、この際一度色々と調べてみようと思い、エコー・マンモグラフィーの検査をしました。その3日後、携帯に電話がかかってきました。 「胸にあきらかなしこりが見られるので、至急入院ができるような大きな病院へ行ってください」 次の日、紹介状を持って病院へ行くと、先生がエコーの画像を見ただけで「悪性ですね」と判断されました。腫瘍がかなり大きいとのこと、至急その日から受けられる検査を全て入れてくださいました。 私はそれまで風邪もほとんどひかず、自分自身の健康体を自負していたので、本当に「まさか私には」という心境。頭の中が真っ白になりその日どうやって帰ったかも思い出せないような心境でした。夫と息子がいるのですが、その日2人には何も伝えられませんでした。 ” 私はそれまで風邪もほとんどひかず、自分自身の健康体を自負していたので、本当に「まさか私には」という心境 “ ちょうど小林麻央さんの乳がんがテレビで報道されているタイミングで、辛辣な心境を抱いていたさ中、まさか自分が同じ病気に・・・。子供がまだ小さいのにどうしよう。当たり前のようにこの先もずっと続くと思っていたものが急に見えなくなったような気がしました。 状況を夫に話せたのはそれから2日後でした。明日から4月、新しい職場へ出勤するために準備していた夫にこのような話をすることも心苦しかったのですが、 「どうやら がんみたいなんだよね・・・。それも結構進行しているようで」 その時夫は、実父をがんで亡くしている経験もあってか意外にも平然とした口調で「まだそんなに進行しているようには感じない、危惧しても仕方がない」という動じない姿勢だったような気がします。治療中もその姿勢は変わらず、いつもとさほど変わらない生活を過ごせていたことで私自身も平常心を保てたように思います。 その後、義理の母に相談した際には「義理母ぐらいの年代になると、がんに限らずみんなそれぞれ何かしら持病のようなものをもっていたりする、今は医療も進んでいるし、そんなに心配しなくてよい」と応援してくれました。ただ息子に対してはどうしてもまだ「がん」ということを伝えることができず、その後も長い期間を過ごしてしまいました。 “治療中もその姿勢は変わらず、いつもとさほど変わらない生活を過ごせていたことで私自身も平常心を保てたように思います” その間に針生検の正式な結果をいただき、結果は「浸潤性乳管癌 ホルモン陽性 Her2陽性 ステージ3」というものでした。病院から以下のような標準治療を提示され、 まだ根治を目指せるという希望を与えられました。 ・化学療法 AC×4回 ・合間にジーラスタ投与 ・化学療法 パクリタキセル x 12回 ・分子標的治療薬 ハーセプチン術前x 12回 ・全摘手術 入院11日間 ・放射線治療×30日 ・分子標的治療薬 ハーセプチン術後x 18回 ・ホルモン治療5年 (処方薬名 ノルバティクス)』 その後、がん治療を専門とする病院へ転院し、化学療法から治療がスタートしました。化学療法にあたっては、脱毛をはじめ様々な副作用についても、最初は不安ばかりがつのっていました。 友人の中にもまだがんになった人を知りませんでしたし、両親もがんとは無縁。自分がこの先どのようになるのか具体的に想像できるのは、ドラマや映画などに出てくる入院による抗がん剤のイメージや死のイメージでした。すぐそばに同じような経験をしている方がいて、その人が治療をしながらも自分らしく生活ができている様子を知っていたら、ここまでの不安はなかったのかもしれないと今では思いますが、この時は急に自分だけが別世界に入り込んでしまったようなそんな孤独感がありました。がんになって良いことなんか何もない、そんな心境でした。 そんな中ついに、治療がスタートしました。 ACといわれる化学療法を3週間おきに4回投与する治療は、倦怠感と吐き気、肌の黒ずみ、脱毛があり、体調的にも精神的にも一番大変な治療でした。さらに免疫が下がり過ぎるのを防ぐため、翌日にジーラスタという注射を打ちに行く通院が一番体力的にも辛かったです。感染症を気にして、外出もなるべく控えたりしていました。 最初はそのようにびくびくしながら生活していましたが、続くパクリタキセルとハーセプチンという化学療法は、手足のしびれはあるものの、さほど倦怠感もなく、慣れとともにだんだんと日常の生活ができるようになっていきました。付き添いがなくても通院の電車で気分が悪くなることもありませんでしたし、その後、化学療法をしている方には仕事と両立している方もいることを知り、最初に抱いていたイメージとは異なり、化学療法といっても日常生活を普通に送れるものだという自信が湧きました。 半年に及ぶ術前化学療法が終了し、検査をおこなったところ、腫瘍は0.03mmにまで縮小しほぼ消滅といわれました。 自分の身体の中のがんが縮小していく体験をしたことで、現在の医療や周囲の方への感謝の気持ちを持つことができました。私自身は何をしたわけではなく、多くの方が関わってくださり、支えてくださり、医療を提供してくださったことで、再び希望を与えていただいた体験でした。 その後の手術、放射線治療、化学療法を終えるころには、最初に感じていた、がんになってよいことなんか何もないという心境から、多くの感謝の気持ちを抱けるようになっていました。 しかし治療をする中で、ネックとなっていたことは、そのころ低学年だった子供にがんをどう伝えたらよいかということでした。このことに悩んでいたときに CLIMBというプログラムに参加させていただき、この中で同じ境遇の人たちとの多くのつながりができました。 テレビでがんのことが報道されていたタイミングでもあり、私は子供と少し前にがんについて質問をされ、何の気なしに、「がんは怖い病気」というような話をしてしまっていたところでした。まさかそのがんになってしまったということを伝えたら、子供に大きなショックを与えてしまうのではないかと思い、私は治療中ずっと「がん」という言葉を伏せ、「ポリープ」とし、うやむやにして過ごしていました。 いつか必ずわかることだし、隠すのはよくない。ただどう伝えたらショックを与えないか、よくわからなかったというのがあります。 プログラムに参加する中で、子供に隠すことの弊害を知りました。子供にきちんと話し、協力を仰ぐことで、彼らには思っているよりも受け止める力があることを教わり、伝える前に比べ、伝えた後の方がとても楽になりましたし、子供自身も協力的になってくれました。 プログラムには、同年代の同じような悩みを抱えた方が来ていて、親同士も子供たち同士もまた同じ境遇であることからすぐに打ち解け、心境や悩みを共有する場を持つことで気持ちが前向きに変化しました。 一言でがん患者といっても本当に様々で、子育て世代で同じような状況の人に相談したいと思っても、出会える機会を見つけるということは本当に難しいのですが、つながることができたのはとても貴重な時間になりました。この時の出会いから、『MotherForest』という名前の患者会をつくって、新たにがんになった方へ共有の場を提供し続けています。 “彼らには思っているよりも受け止める力があることを教わり、伝える前に比べ、伝えた後の方がとても楽になりました“ キャンサーギフト(がんになったからこそ得られたもの)という言葉を知ったのもこのころですが、確かに、気が付くと、がんになってから出会うことができた人、新しい視点、機会がどんどん増えていました。身体が、がんにむしばまれていったとしても、かわりに増えているものがあるなら、なんとなく安心します。「失うものばかりではなく、悪いことばかりでもない」 このことに気が付けたのは、こうしたつながりの場で周囲の方に身をもって教えていただいたからでした。 このように、私にはがんになってからの出会いから得たキャンサーギフトがいくつかあります。一つ目は、MotherForestをはじめ、同病の方とのつながりでした。告知を受けた時は一人だけで戦っているような気がしましたが、気がついたら多くの方が同じ方向に向かって走っていたということに気づきました。そしてこれからも5年~10年とがんと向き合いながら過ごしていく中での同志を得たと勝手ながら思っています。 二つ目は、ご縁があって、がん患者のつながるアプリtomosnote開発責任者のAFLACの田中麻衣さんに、患者という目線からご協力をさせていただく機会に恵まれたことです。こちらを利用する中でも、つながることによって多くの安心や励まし、心の余裕、時間を得るという体験ができました。 今はネットでどんなことでも調べられる反面、どれが正しい情報なのかわかりづらく、告知後の最初の段階で信頼できる情報へたどり着けることがとても重要だと思います。がんになってしまった方を支えようと、日々試行錯誤してくださっている方々がいることに勇気づけられ、励まされます。 最後に、挙げられるキャンサーギフトは、こどもの成長の場面が見られるようになったことです。がんということを伝えたあとの子供は、以前より協力的な姿勢をみせてくれることが多くなりました。家事の手伝いなども以前にくらべ、少しではありますが、積極的にしてくれるようになっています。テレビでがんに良い食べ物などを聞くと、すかさず教えてくれたりしますし、学校での福祉関係の授業も興味を持って取り組んでいるように感じます。ほんの少しではありますが、がんになったことが新しい変化をもたらすギフトになっていると確かに実感しています。 毎年多くの方が新たにがんになり、毎日どこかでがんの告知を受けている方がいて、その人が私と同じようなショックを受け、絶望や、悲しみや、混乱の中にいるとしたら、今後は私自身が経験した体験から、「決してがんになったからといって悲しいことばかりではない、がんになったからこそ得られることもある」という励ましのメッセージを、ぜひ一人でも多くの方に届けていきたいと思っています! 誰でも起こりうる、がんと向き合う期間を一つのライフステージととらえて、その期間をもっと充実して前向きに過ごせるようなお手伝いができたらと願っています。 “私自信は何をしたわけではなく、多くの方が関わってくださり、支えてくださり、医療を提供してくださったことで、再び希望を与えられた体験でした” <太田由貴子さん […]

Getting active with secondary breast cancer

Cancer exercise expert Lizzy Davis gives her tips for getting active if you have secondary breast cancer. PiNK 2019 Summer pp.2-3 Exercise may be the furthest thing from your mind if you’re having cancer treatment. But evidence on the benefits of physical activity for those living with secondary breast cancer (when cancer cells from the […]

[Survivor Story] Tomoko Iida

(Japanese Text Only) 病気に思い悩む時こそ、好きなことに没頭してみて 私が、乳がんに気づいたのは2003年。看護師として勤続20年を迎え、15日間の特別休暇をいただいて、アメリカに旅行をした後のことでした。海外ではずっとシャワーだったので、休暇の最終日はのんびりお風呂に入ろうと向かった温泉で、何気なく乳房に触れた時のこと。コリっと、硬いしこりがあったのです。定期的な自己触診やマンモグラフィー検診はしていなかったので、本当に偶然の発見でした。それでもその時は「ちょっと気になるけど、明日から仕事だし、どうしようかなぁ…」くらいの気持ちで、まさか乳がんだとは思いもしません。 翌朝、勤務先でお土産を渡すついでに友人に話したら、「今すぐ、先生に診てもらった方がいい」と言われて事態が急変。スタッフから不在期間中の報告を受ける間もなく、慌てて診察室へ。すると先生は触っただけで、「これは、乳がんだね」って。普通の患者さんには言わないのでしょうけれど、私が医療従事者だったので、ハッキリおっしゃられたのでしょう。「1cm弱の小さいものだから、心配することはない」と言ってくださったのですが、動転していて冷静に聞くことができず、ただ、ただ、唖然としていました。何しろ、急な展開でしたから。診察についていた看護師から「どうする?」と聞かれましたが、どうするも何も…。「治療するしかないですね」と話して、そのまま針生検や超音波検査を受けました。 結局、私の乳がんのサブタイプはHER2陽性で、乳房温存術をすることが決まりました。乳がんの位置的に温存できるか難しいと言われましたが、「温存だろうが全摘だろうがどうでもいいから、早く手術して早く復帰したい!」「とにかく、早く次に進んで欲しい!」いう気持ちの方が強くありました。周りの人も主人も、がんと聞いて心配していましたが、私は落ち着いていました。「がん=死」というイメージがあるかもしれませんが、適切な治療をすれば完治する確率はとても高いことを知っていました。私は病気について悲しんだり、焦ったりすることなく、仕事や休暇の調整をしてから、入院して手術をしました。手術後も、夕方からご飯を食べて、トイレにも自分で行けるくらい元気でしたし、1週間くらいで仕事に復帰!自分でも驚いたくらいです。 むしろ大変だったのは、仕事をしながら受けた放射線治療の方でした。患部がヒリヒリするし、熱いし、痛いし、腕は上がらないし…。患部が気になって、落ち着いて働けないのです。治療開始から2週間は、何とか仕事と両立させましたが、残り3週間は休職しました。この放射線治療の間、私はずっと同じ乳がんの友人が欲しかったのですが、入院は個室でしたし、放射線治療に通ったときも知り合うことができませんでした。それじゃあ、とインターネットで乳がんの方を探したことから、後に乳がん患者会を一緒に立ち上げ、アロマテラピーの本も共同執筆した、千葉治子さんと出会えたのです。 優雅な別世界で、QOLがアップ! 千葉治子さんは、2000年に乳がんと告知された私の5つ年上の女性です。インターネットで知り合った乳がんの方に誘われて、千葉さんご自宅のオフ会に伺ったのが始まりでした。会場は綺麗にテーブルセッティングされて、そこには私の大好きなピンクの小物が!集まった皆でおしゃべりしつつ、素敵なお料理やビーズの時計作りを楽しみました。はじめて試したアロマテラピーも良い香りで、その場ですぐ注文。花の名前もよく知らなかった私ですが、次もアロマの会をリクエストして、ウキウキ、ルンルン気分で帰宅しました。とにかく千葉さんのオフ会は、私にとって優雅な別世界!お昼休みは10分15分でサンドイッチを食べて終了。平日はほぼ外食という看護師の生活とは全く違いました。だからこそ、おしゃれな空間でゆったり過ごした1日は、放射線治療中だった私のQOLを格段に高めてくれたのです。放射線治療は大変でも、楽しい会に行けば気が紛れると気づいた私は「これは、楽しむしかない!」と決意。千葉さんとお茶やイベントに出かけたり、メディカルアロマテラピーの勉強を開始したりしました。 そんな楽しい休職期間が終わると、いよいよ化学療法の開始です。私の場合は働きながら、金曜にFEC療法を受けました。薬はエピルビシンとシクロホスファミド、フルオロウラシルを使用。放射線治療ほど辛くはなかったのですが、脱毛や吐き気などの副作用は出ました。治療の当日と翌日は何も食べられなかったし、約3週間後には髪も抜けました。そんな治療期間中も、知り合った乳がんの方とお出かけの企画をしたり、ブログで応援コメントを出し合いながら交流を続けていました。そして、6クールの化学療法が終わった後は、ほぼ年休が無い状態に。治療が終わった後は定期検診を受けながら働いていましたが、1年ほど経った頃、私に今度は異動命令が出たのです。 我慢をやめて、自分のために生きる この異動がキッカケで、私は長年お世話になった勤務先を辞めました。再発する可能性も考えて、「我慢しないで、自分のためにやりたいことをやろう」と思ったのです。当時、医師が出した私の10年生存率は「93%」。そう悪くない数字だと思われる方もいるかもしれませんが、「100人いれば7人は死ぬ」と考えると、シビアな数字です。仕事はやりがいがあるけれど、平日に開催される乳がん仲間とのオフ会に行けなかったり、我慢することも多かった。忙しすぎる仕事のせいで、病気になったのかもしれないと感じるところもあり、異動を機に、「いったん離れたほうがいい。自分のために、自分のことをしよう」と退職を決意。仕事を辞めてからは、フラワーアレンジメントやクレイフラワー、料理、アロマテラピーの勉強と、とにかく予定を入れまくりました!とても忙しかったけれど、好きなことだから全く苦にならない(笑) そんな日々の中で、大きな転機になったのが株式会社エイボン・プロダクツのプロジェクト。私が放射線治療中に「保冷ブラジャーを出したほうがいい」と言っていたのを覚えていた同僚が、エイボンのプロジェクトへの応募を勧めてくれたのです。「私のように、治療の苦痛に悩む人が少しでも減ったらいい」という願いで応募したら、嬉しいことに採用が決定!内側に柔らかいジェル状の保冷剤が入るブラジャー、『パルフェ』を考案して制作しました。可愛いブラジャーにしたくて、ボランティアスタッフでワンポイントの刺繍もしました。放射線治療中の方にブラジャーの試着をしていただいたら、私の時のような苦痛を感じた方がいなかったので、本当にやって良かったと思います。この『パルフェ』は、東京・中日新聞に掲載されたおかげで、名古屋からたくさん注文を頂きました。さらに、私たちがアロマテラピーの資格を持っていて、乳がんの方向けのセルフケアの講習会も行っていたことから、「名古屋でもやって欲しい」とリクエストをいただき、名古屋で講習会を開催。これを皮切りに、千葉さんと内輪で行っていた乳がんの方向けのアロマテラピーの会を、外にも広げていったのです。 病気になっても、1人じゃない 千葉さんには、乳がんの方のためにアロマテラピーの本も出したい、という希望がありました。『「あなたは乳がんです」「生存率はこれくらいです」と言われると、本当にどん底に突き落とされた気持ちになってしまう。でも、そのことばかり考えるのではなくて、もっと前向きに考える方が良いと思う。私たちがやって良かったと思っていることや、対症療法について、そばで助言してあげられるような本を作りたい。情報はインターネットにも書いているけれど、ネットを見られない方のために本にして届けたい」』というのが、千葉さんの想いで私は、それに強く共感しました。病気になって分かりましたが、たとえ家族や友人がいてくれても、真の気持ちはどうしても、同じ病気の人同士でないと分かってあげられないところがあるのです。「病気になっても1人じゃない。そっと寄り添う私たちがいる」「アロマテラピーという役立つ手段もある”という千葉さんの想いを、一緒に伝えたかったのです。 しかし本の企画は、なかなかうまく進みません。そのうち、乳がん再発後も元気だった千葉さんの気力や体力が衰えてきました。一方、私はやりたかったことをやり終えて、保健同人社で働き始めていました。そこで千葉さんのために何かできればと、勤務先に本の企画を持ちかけたところ、出版が決定!それからは、2人で様々なイベントに出かけて本の宣伝をして、執筆も共同で行いました。彼女は、病床でも本に使う写真を選び、最後まで懸命に取り組んでいましたが、残念ながら、本の完成前に亡くなられました。完成した本を手に握らせてあげたかったことは、今でも悔やまれてなりません。亡くなられてから数日間は、私は人から話しかけられるたびに涙ぐんでしまうことが続きました。職場でも「今日は帰っていいよ」と言われたくらい、やりきれない思いでした。千葉さんが亡くなってから本ができるまでの約半年間は、寝ずに残りの執筆・編集作業が続きました。夜中に監修の先生と打ち合わせをして、友人と一緒に「千葉さんが言いたかったことは?」と考えました。とにかく大変だったので、色んな方に見ていただいた最終のゲラは今も手元に残しています。こうして完成した『乳がんの人の心と体に 素敵にアロマテラピー』は、私の宝物。この本を残してくださった千葉さんに、本当に感謝しています。私は今も、彼女と一緒に頑張っている気持ちなので、講演やイベントに行く時は、必ず千葉さんの写真を持って行きます。 アロマテラピーは、自分と向き合えるツール 千葉さんと一緒に立ち上げた乳がん患者会「Ruban Rose」は、昨年NPO法人にすることができました。今後はさらに、活動内容を充実させていきます。乳がんの早期発見のための取り組みとしては、銭湯でのアロマ石けん作りや自己触診法の講座、大人のがん教育講座を開催。それから『乳がんの人の心と体に 素敵にアロマテラピー』をテキストとした検定試験の実施や、アロマテラピー講師の方との連携、「Ruban Rose」のためにオリジナルで作っていただいたピンク・クレイを使った乳がん患者さん向けのセルフケア講習会など、新しい活動もたくさん予定しています。アロマテラピーは、心身を癒す高い効果がある素晴らしい手法。使用する精油は分子量が非常に小さいので、生命活動を司る脳にダイレクトに届き、皮膚を通して毛細血管に入り、全身に効果を発揮してくれます。その高い効果を、もっと多くの方に届けていきたいです。 私は長年、「Ruban Rose」の活動をしてきましたが、自立している女性が多いのか、ほとんどの方が講習会に1人で申し込まれます。最初は不安そうでも、だんだん笑顔が出てきて、参加者同士で友達になって、最後は皆さんで楽しくお茶を飲みに行って。私とその人だけの関係で終わらず、他の方と繋がっていく姿を見るのは、とても嬉しいことです。皆で集まる会の間は、病気や辛いことは忘れて、ワクワクする楽しさを分かち合うことを大切にしています。もちろん、病気で本当に気になることは話した方が良いし、個別の相談も受けますが、最終的には病気の治療は自分で決めなければなりません。今はお医者さんも、「どういう治療をしますか?」と聞いてきますし、自分でじっくり考える必要があります。けれど、人は考えれば考えるほど、迷って悩んでしまうもの。そんな時は、何か好きなものに没頭してみて欲しいんです。私自身、悩んだ時は大好きなハンドメイドに集中して、悩みを忘れるくらい没頭することで、頭と気持ちをスッキリ切り替えてきました。だから「Ruban Rose」は、皆で色んなことを楽しむ会にしています。アロマテラピーや手作りの体験を通して、好きなことを楽しむ気持ちや、病気になっても1人じゃないということを、伝えていきたいです。 振り返れば、私が乳がんと言われてから15年が経ちました。病気になって良かったとは言えませんが、「キャンサーズギフト」をたくさんいただいたと思います。仕事一筋の頃は世界が狭かったけれど、病気になって様々な人と出会い、数々の経験をしました。ここまで来るには時間が必要でしたし、時間が解決してくれたこともあります。寒い冬は咲かない植物が、春になったら花を咲かせて、夏には緑になり、そして季節がまわっていく。冬が来れば必ず春が来る。植物が裏切ることなく、必ず芽吹くのを見ると嬉しくなります。看護師時代は感じられなかった自然との繋がりを感じ、「何か人のために、できることがあるのではないか?」と、考えるようになりました。自分でも、ずいぶん人間らしくなったと思います。 最後に、乳がんになった方にお伝えしたいのは、前向きでいて欲しいということです。人は、様々なことが起きて変わっていきます。乳がんだと分かったら、まずは前向きに治療して欲しいし、1人で悩まず相談して欲しい。乳がんは、早く手術して取り切れば問題ありませんし、QOLも下がりません。病院で病気に向き合うのが怖い時は、アロマテラピーも役に立ちます。ハンカチにラベンダーの香りを落として病院に持って行けば、やさしい香りで気持ちが鎮まるので、リラックスして結果を聞き、冷静に判断できるようになります。私には、自分と向き合うためのツールとしてアロマテラピーがありました。何かあった時は、ぜひアロマテラピーを活用してみてください。 <飯田智子さん プロフィール> 2003年、大学病院に看護婦として勤務していた時、乳がんと告知されて手術を受ける。 その後、乳がんの仲間と共に、乳がん患者をサポートする活動を開始。 放射線治療中のほてりを緩和する保冷ブラジャー「パルフェ」の考案・制作や、乳がん患者会「Ruban Rose」でアロマテラピーやハーブを使った「素敵にアロマテラピー」の講演会やがん教育など、多くの活動を行っている。 乳がん患者会・NPO法人 Ruban Rose 代表理事 NARDアロマテラピー協会認定アロマインストラクター NARDアロマテラピー協会認定校 SALON DE SOPHIA 主宰 千葉治子・飯田智子著『乳がんの人の心と体に 素敵にアロマテラピー』保健同人社 PHOTO_Hiromi Ando TEXT_Tomoko Iida

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Q. I’ve been reading about specific diets – particularly ones that avoid dairy foods – for people who’ve been diagnosed with breast cancer. Should I be following one? PiNK 2018 SPRING p.6-p.7 A. It’s common and understandable to want to do as much as possible to be healthy when you’ve been diagnosed with breast cancer.Many […]