[Survivor Story] Yukiko Ohta

(Japanese Text Only) キャンサーギフトという言葉はがんになったからこそ得られたものという意味で使う言葉です。告知から2年経ち、気が付いたら、今がんになったからできるようになったこと、出会えた人、新しい視点がどんどん増えていたことに気がつきました。 私のがんが発見されたのは2年前の3月の終わりのことです。それまで育児で仕事を離れていましたが、再び仕事を始めたのをきっかけに検診を受けた時でした。最近少し貧血のような倦怠感があって、この際一度色々と調べてみようと思い、エコー・マンモグラフィーの検査をしました。その3日後、携帯に電話がかかってきました。 「胸にあきらかなしこりが見られるので、至急入院ができるような大きな病院へ行ってください」 次の日、紹介状を持って病院へ行くと、先生がエコーの画像を見ただけで「悪性ですね」と判断されました。腫瘍がかなり大きいとのこと、至急その日から受けられる検査を全て入れてくださいました。 私はそれまで風邪もほとんどひかず、自分自身の健康体を自負していたので、本当に「まさか私には」という心境。頭の中が真っ白になりその日どうやって帰ったかも思い出せないような心境でした。夫と息子がいるのですが、その日2人には何も伝えられませんでした。 ” 私はそれまで風邪もほとんどひかず、自分自身の健康体を自負していたので、本当に「まさか私には」という心境 “ ちょうど小林麻央さんの乳がんがテレビで報道されているタイミングで、辛辣な心境を抱いていたさ中、まさか自分が同じ病気に・・・。子供がまだ小さいのにどうしよう。当たり前のようにこの先もずっと続くと思っていたものが急に見えなくなったような気がしました。 状況を夫に話せたのはそれから2日後でした。明日から4月、新しい職場へ出勤するために準備していた夫にこのような話をすることも心苦しかったのですが、 「どうやら がんみたいなんだよね・・・。それも結構進行しているようで」 その時夫は、実父をがんで亡くしている経験もあってか意外にも平然とした口調で「まだそんなに進行しているようには感じない、危惧しても仕方がない」という動じない姿勢だったような気がします。治療中もその姿勢は変わらず、いつもとさほど変わらない生活を過ごせていたことで私自身も平常心を保てたように思います。 その後、義理の母に相談した際には「義理母ぐらいの年代になると、がんに限らずみんなそれぞれ何かしら持病のようなものをもっていたりする、今は医療も進んでいるし、そんなに心配しなくてよい」と応援してくれました。ただ息子に対してはどうしてもまだ「がん」ということを伝えることができず、その後も長い期間を過ごしてしまいました。 “治療中もその姿勢は変わらず、いつもとさほど変わらない生活を過ごせていたことで私自身も平常心を保てたように思います” その間に針生検の正式な結果をいただき、結果は「浸潤性乳管癌 ホルモン陽性 Her2陽性 ステージ3」というものでした。病院から以下のような標準治療を提示され、 まだ根治を目指せるという希望を与えられました。 ・化学療法 AC×4回 ・合間にジーラスタ投与 ・化学療法 パクリタキセル x 12回 ・分子標的治療薬 ハーセプチン術前x 12回 ・全摘手術 入院11日間 ・放射線治療×30日 ・分子標的治療薬 ハーセプチン術後x 18回 ・ホルモン治療5年 (処方薬名 ノルバティクス)』 その後、がん治療を専門とする病院へ転院し、化学療法から治療がスタートしました。化学療法にあたっては、脱毛をはじめ様々な副作用についても、最初は不安ばかりがつのっていました。 友人の中にもまだがんになった人を知りませんでしたし、両親もがんとは無縁。自分がこの先どのようになるのか具体的に想像できるのは、ドラマや映画などに出てくる入院による抗がん剤のイメージや死のイメージでした。すぐそばに同じような経験をしている方がいて、その人が治療をしながらも自分らしく生活ができている様子を知っていたら、ここまでの不安はなかったのかもしれないと今では思いますが、この時は急に自分だけが別世界に入り込んでしまったようなそんな孤独感がありました。がんになって良いことなんか何もない、そんな心境でした。 そんな中ついに、治療がスタートしました。 ACといわれる化学療法を3週間おきに4回投与する治療は、倦怠感と吐き気、肌の黒ずみ、脱毛があり、体調的にも精神的にも一番大変な治療でした。さらに免疫が下がり過ぎるのを防ぐため、翌日にジーラスタという注射を打ちに行く通院が一番体力的にも辛かったです。感染症を気にして、外出もなるべく控えたりしていました。 最初はそのようにびくびくしながら生活していましたが、続くパクリタキセルとハーセプチンという化学療法は、手足のしびれはあるものの、さほど倦怠感もなく、慣れとともにだんだんと日常の生活ができるようになっていきました。付き添いがなくても通院の電車で気分が悪くなることもありませんでしたし、その後、化学療法をしている方には仕事と両立している方もいることを知り、最初に抱いていたイメージとは異なり、化学療法といっても日常生活を普通に送れるものだという自信が湧きました。 半年に及ぶ術前化学療法が終了し、検査をおこなったところ、腫瘍は0.03mmにまで縮小しほぼ消滅といわれました。 自分の身体の中のがんが縮小していく体験をしたことで、現在の医療や周囲の方への感謝の気持ちを持つことができました。私自身は何をしたわけではなく、多くの方が関わってくださり、支えてくださり、医療を提供してくださったことで、再び希望を与えていただいた体験でした。 その後の手術、放射線治療、化学療法を終えるころには、最初に感じていた、がんになってよいことなんか何もないという心境から、多くの感謝の気持ちを抱けるようになっていました。 しかし治療をする中で、ネックとなっていたことは、そのころ低学年だった子供にがんをどう伝えたらよいかということでした。このことに悩んでいたときに CLIMBというプログラムに参加させていただき、この中で同じ境遇の人たちとの多くのつながりができました。 テレビでがんのことが報道されていたタイミングでもあり、私は子供と少し前にがんについて質問をされ、何の気なしに、「がんは怖い病気」というような話をしてしまっていたところでした。まさかそのがんになってしまったということを伝えたら、子供に大きなショックを与えてしまうのではないかと思い、私は治療中ずっと「がん」という言葉を伏せ、「ポリープ」とし、うやむやにして過ごしていました。 いつか必ずわかることだし、隠すのはよくない。ただどう伝えたらショックを与えないか、よくわからなかったというのがあります。 プログラムに参加する中で、子供に隠すことの弊害を知りました。子供にきちんと話し、協力を仰ぐことで、彼らには思っているよりも受け止める力があることを教わり、伝える前に比べ、伝えた後の方がとても楽になりましたし、子供自身も協力的になってくれました。 プログラムには、同年代の同じような悩みを抱えた方が来ていて、親同士も子供たち同士もまた同じ境遇であることからすぐに打ち解け、心境や悩みを共有する場を持つことで気持ちが前向きに変化しました。 一言でがん患者といっても本当に様々で、子育て世代で同じような状況の人に相談したいと思っても、出会える機会を見つけるということは本当に難しいのですが、つながることができたのはとても貴重な時間になりました。この時の出会いから、『MotherForest』という名前の患者会をつくって、新たにがんになった方へ共有の場を提供し続けています。 “彼らには思っているよりも受け止める力があることを教わり、伝える前に比べ、伝えた後の方がとても楽になりました“ キャンサーギフト(がんになったからこそ得られたもの)という言葉を知ったのもこのころですが、確かに、気が付くと、がんになってから出会うことができた人、新しい視点、機会がどんどん増えていました。身体が、がんにむしばまれていったとしても、かわりに増えているものがあるなら、なんとなく安心します。「失うものばかりではなく、悪いことばかりでもない」 このことに気が付けたのは、こうしたつながりの場で周囲の方に身をもって教えていただいたからでした。 このように、私にはがんになってからの出会いから得たキャンサーギフトがいくつかあります。一つ目は、MotherForestをはじめ、同病の方とのつながりでした。告知を受けた時は一人だけで戦っているような気がしましたが、気がついたら多くの方が同じ方向に向かって走っていたということに気づきました。そしてこれからも5年~10年とがんと向き合いながら過ごしていく中での同志を得たと勝手ながら思っています。 二つ目は、ご縁があって、がん患者のつながるアプリtomosnote開発責任者のAFLACの田中麻衣さんに、患者という目線からご協力をさせていただく機会に恵まれたことです。こちらを利用する中でも、つながることによって多くの安心や励まし、心の余裕、時間を得るという体験ができました。 今はネットでどんなことでも調べられる反面、どれが正しい情報なのかわかりづらく、告知後の最初の段階で信頼できる情報へたどり着けることがとても重要だと思います。がんになってしまった方を支えようと、日々試行錯誤してくださっている方々がいることに勇気づけられ、励まされます。 最後に、挙げられるキャンサーギフトは、こどもの成長の場面が見られるようになったことです。がんということを伝えたあとの子供は、以前より協力的な姿勢をみせてくれることが多くなりました。家事の手伝いなども以前にくらべ、少しではありますが、積極的にしてくれるようになっています。テレビでがんに良い食べ物などを聞くと、すかさず教えてくれたりしますし、学校での福祉関係の授業も興味を持って取り組んでいるように感じます。ほんの少しではありますが、がんになったことが新しい変化をもたらすギフトになっていると確かに実感しています。 毎年多くの方が新たにがんになり、毎日どこかでがんの告知を受けている方がいて、その人が私と同じようなショックを受け、絶望や、悲しみや、混乱の中にいるとしたら、今後は私自身が経験した体験から、「決してがんになったからといって悲しいことばかりではない、がんになったからこそ得られることもある」という励ましのメッセージを、ぜひ一人でも多くの方に届けていきたいと思っています! 誰でも起こりうる、がんと向き合う期間を一つのライフステージととらえて、その期間をもっと充実して前向きに過ごせるようなお手伝いができたらと願っています。 “私自信は何をしたわけではなく、多くの方が関わってくださり、支えてくださり、医療を提供してくださったことで、再び希望を与えられた体験でした” <太田由貴子さん […]

Common beauty and makeup questions

Makeup artist Debbie Storey gives beauty tips and answers some common questions about makeup after breast cancer treatment. PiNK 2019 Spring pp.24-25 My skin is sensitive and dry. Should I avoid using an exfoliator? You could try a gel exfoliator, which is gentle, won’t irritate your skin and won’t leave it dry afterwards. Apply it […]

Sex After Breast Breast Cancer: The Survey

Over 800 women took Breast Cancer Care’s survey about sex and intimacy after breast cancer. We examined the results. PiNK 2019 Spring pp.22-23 The results are clear: the majority of women (80%) who took Breast Cancer Care’s survey are unhappy with their sex life after breast cancer. When also asked if they were happier before […]

RFTC Japan おすすめコラム Vol.1 

(Japanese Text Only) 【N HEAD WEAR】髪があってもなくても楽しめるファッション&ケアアイテム PiNK 2019年夏号 p.10 RFTC Japan スタッフ渋谷のおすすめ F LINE WINE RED(ワインレッド) 被ればたちまちおしゃれに決まる! 京都・西陣の織屋が織る伝統素材を使用した日本ならではの華のある帽子です♪ 普段のおしゃれにさらに一工夫を加えられます。 RFTC Japan スタッフ鈴木のおすすめ B LINE RED(レッド) 気分に合わせて帽子の魅せ方を変えられる! 外側はあたたかいウール、内側は肌触りの良いコットン。さらに、同じ形のB+シリーズは、春から夏にかけての汗ばむ季節にも被れるコットン素材。どちらも被り心地が気持ち良い帽子です。 POINT 1 オシャレが光る 毎日を心地よく過ごすためのファッションアイテムとしても被っていただけます。 POINT 2 一日中被っていても快適 硬い部分がないため、横になる時や何かにもたれる場合でも、脱がなければならないという心配がありません。 POINT 3 友人や家族でお揃いにしても 帽子を友人や家族と共有したり、お揃いで被って楽しんでみるのもおすすめ♪ N HEAD WEAR の”グッ👍”とポイント ひとつの帽子で、頭髪の変化や気分に合わせてアレンジを楽しめます♪ 3WAYの魅せ方 1. リブの部分を生かして深めに被る 2. リブを折ってアクセントに 3. リブを内側に隠してシンプルに N HEAD WEAR DESIGNER […]

Women and Alcoholism

PiNK 2019 Spring pp.18-19 The child of two alcoholics, Dawn King was never a big drinker. For years she and her hus­band would enjoy an occasional glass of wine, but alcohol just didn’t figure largely into their lives. Then several years ago, stress started creeping into Dawn’s life — and with it alcohol came creeping […]

Getting active with secondary breast cancer

Cancer exercise expert Lizzy Davis gives her tips for getting active if you have secondary breast cancer. PiNK 2019 Summer pp.2-3 Exercise may be the furthest thing from your mind if you’re having cancer treatment. But evidence on the benefits of physical activity for those living with secondary breast cancer (when cancer cells from the […]

[Survivor Story] Tomoko Iida

(Japanese Text Only) 病気に思い悩む時こそ、好きなことに没頭してみて 私が、乳がんに気づいたのは2003年。看護師として勤続20年を迎え、15日間の特別休暇をいただいて、アメリカに旅行をした後のことでした。海外ではずっとシャワーだったので、休暇の最終日はのんびりお風呂に入ろうと向かった温泉で、何気なく乳房に触れた時のこと。コリっと、硬いしこりがあったのです。定期的な自己触診やマンモグラフィー検診はしていなかったので、本当に偶然の発見でした。それでもその時は「ちょっと気になるけど、明日から仕事だし、どうしようかなぁ…」くらいの気持ちで、まさか乳がんだとは思いもしません。 翌朝、勤務先でお土産を渡すついでに友人に話したら、「今すぐ、先生に診てもらった方がいい」と言われて事態が急変。スタッフから不在期間中の報告を受ける間もなく、慌てて診察室へ。すると先生は触っただけで、「これは、乳がんだね」って。普通の患者さんには言わないのでしょうけれど、私が医療従事者だったので、ハッキリおっしゃられたのでしょう。「1cm弱の小さいものだから、心配することはない」と言ってくださったのですが、動転していて冷静に聞くことができず、ただ、ただ、唖然としていました。何しろ、急な展開でしたから。診察についていた看護師から「どうする?」と聞かれましたが、どうするも何も…。「治療するしかないですね」と話して、そのまま針生検や超音波検査を受けました。 結局、私の乳がんのサブタイプはHER2陽性で、乳房温存術をすることが決まりました。乳がんの位置的に温存できるか難しいと言われましたが、「温存だろうが全摘だろうがどうでもいいから、早く手術して早く復帰したい!」「とにかく、早く次に進んで欲しい!」いう気持ちの方が強くありました。周りの人も主人も、がんと聞いて心配していましたが、私は落ち着いていました。「がん=死」というイメージがあるかもしれませんが、適切な治療をすれば完治する確率はとても高いことを知っていました。私は病気について悲しんだり、焦ったりすることなく、仕事や休暇の調整をしてから、入院して手術をしました。手術後も、夕方からご飯を食べて、トイレにも自分で行けるくらい元気でしたし、1週間くらいで仕事に復帰!自分でも驚いたくらいです。 むしろ大変だったのは、仕事をしながら受けた放射線治療の方でした。患部がヒリヒリするし、熱いし、痛いし、腕は上がらないし…。患部が気になって、落ち着いて働けないのです。治療開始から2週間は、何とか仕事と両立させましたが、残り3週間は休職しました。この放射線治療の間、私はずっと同じ乳がんの友人が欲しかったのですが、入院は個室でしたし、放射線治療に通ったときも知り合うことができませんでした。それじゃあ、とインターネットで乳がんの方を探したことから、後に乳がん患者会を一緒に立ち上げ、アロマテラピーの本も共同執筆した、千葉治子さんと出会えたのです。 優雅な別世界で、QOLがアップ! 千葉治子さんは、2000年に乳がんと告知された私の5つ年上の女性です。インターネットで知り合った乳がんの方に誘われて、千葉さんご自宅のオフ会に伺ったのが始まりでした。会場は綺麗にテーブルセッティングされて、そこには私の大好きなピンクの小物が!集まった皆でおしゃべりしつつ、素敵なお料理やビーズの時計作りを楽しみました。はじめて試したアロマテラピーも良い香りで、その場ですぐ注文。花の名前もよく知らなかった私ですが、次もアロマの会をリクエストして、ウキウキ、ルンルン気分で帰宅しました。とにかく千葉さんのオフ会は、私にとって優雅な別世界!お昼休みは10分15分でサンドイッチを食べて終了。平日はほぼ外食という看護師の生活とは全く違いました。だからこそ、おしゃれな空間でゆったり過ごした1日は、放射線治療中だった私のQOLを格段に高めてくれたのです。放射線治療は大変でも、楽しい会に行けば気が紛れると気づいた私は「これは、楽しむしかない!」と決意。千葉さんとお茶やイベントに出かけたり、メディカルアロマテラピーの勉強を開始したりしました。 そんな楽しい休職期間が終わると、いよいよ化学療法の開始です。私の場合は働きながら、金曜にFEC療法を受けました。薬はエピルビシンとシクロホスファミド、フルオロウラシルを使用。放射線治療ほど辛くはなかったのですが、脱毛や吐き気などの副作用は出ました。治療の当日と翌日は何も食べられなかったし、約3週間後には髪も抜けました。そんな治療期間中も、知り合った乳がんの方とお出かけの企画をしたり、ブログで応援コメントを出し合いながら交流を続けていました。そして、6クールの化学療法が終わった後は、ほぼ年休が無い状態に。治療が終わった後は定期検診を受けながら働いていましたが、1年ほど経った頃、私に今度は異動命令が出たのです。 我慢をやめて、自分のために生きる この異動がキッカケで、私は長年お世話になった勤務先を辞めました。再発する可能性も考えて、「我慢しないで、自分のためにやりたいことをやろう」と思ったのです。当時、医師が出した私の10年生存率は「93%」。そう悪くない数字だと思われる方もいるかもしれませんが、「100人いれば7人は死ぬ」と考えると、シビアな数字です。仕事はやりがいがあるけれど、平日に開催される乳がん仲間とのオフ会に行けなかったり、我慢することも多かった。忙しすぎる仕事のせいで、病気になったのかもしれないと感じるところもあり、異動を機に、「いったん離れたほうがいい。自分のために、自分のことをしよう」と退職を決意。仕事を辞めてからは、フラワーアレンジメントやクレイフラワー、料理、アロマテラピーの勉強と、とにかく予定を入れまくりました!とても忙しかったけれど、好きなことだから全く苦にならない(笑) そんな日々の中で、大きな転機になったのが株式会社エイボン・プロダクツのプロジェクト。私が放射線治療中に「保冷ブラジャーを出したほうがいい」と言っていたのを覚えていた同僚が、エイボンのプロジェクトへの応募を勧めてくれたのです。「私のように、治療の苦痛に悩む人が少しでも減ったらいい」という願いで応募したら、嬉しいことに採用が決定!内側に柔らかいジェル状の保冷剤が入るブラジャー、『パルフェ』を考案して制作しました。可愛いブラジャーにしたくて、ボランティアスタッフでワンポイントの刺繍もしました。放射線治療中の方にブラジャーの試着をしていただいたら、私の時のような苦痛を感じた方がいなかったので、本当にやって良かったと思います。この『パルフェ』は、東京・中日新聞に掲載されたおかげで、名古屋からたくさん注文を頂きました。さらに、私たちがアロマテラピーの資格を持っていて、乳がんの方向けのセルフケアの講習会も行っていたことから、「名古屋でもやって欲しい」とリクエストをいただき、名古屋で講習会を開催。これを皮切りに、千葉さんと内輪で行っていた乳がんの方向けのアロマテラピーの会を、外にも広げていったのです。 病気になっても、1人じゃない 千葉さんには、乳がんの方のためにアロマテラピーの本も出したい、という希望がありました。『「あなたは乳がんです」「生存率はこれくらいです」と言われると、本当にどん底に突き落とされた気持ちになってしまう。でも、そのことばかり考えるのではなくて、もっと前向きに考える方が良いと思う。私たちがやって良かったと思っていることや、対症療法について、そばで助言してあげられるような本を作りたい。情報はインターネットにも書いているけれど、ネットを見られない方のために本にして届けたい」』というのが、千葉さんの想いで私は、それに強く共感しました。病気になって分かりましたが、たとえ家族や友人がいてくれても、真の気持ちはどうしても、同じ病気の人同士でないと分かってあげられないところがあるのです。「病気になっても1人じゃない。そっと寄り添う私たちがいる」「アロマテラピーという役立つ手段もある”という千葉さんの想いを、一緒に伝えたかったのです。 しかし本の企画は、なかなかうまく進みません。そのうち、乳がん再発後も元気だった千葉さんの気力や体力が衰えてきました。一方、私はやりたかったことをやり終えて、保健同人社で働き始めていました。そこで千葉さんのために何かできればと、勤務先に本の企画を持ちかけたところ、出版が決定!それからは、2人で様々なイベントに出かけて本の宣伝をして、執筆も共同で行いました。彼女は、病床でも本に使う写真を選び、最後まで懸命に取り組んでいましたが、残念ながら、本の完成前に亡くなられました。完成した本を手に握らせてあげたかったことは、今でも悔やまれてなりません。亡くなられてから数日間は、私は人から話しかけられるたびに涙ぐんでしまうことが続きました。職場でも「今日は帰っていいよ」と言われたくらい、やりきれない思いでした。千葉さんが亡くなってから本ができるまでの約半年間は、寝ずに残りの執筆・編集作業が続きました。夜中に監修の先生と打ち合わせをして、友人と一緒に「千葉さんが言いたかったことは?」と考えました。とにかく大変だったので、色んな方に見ていただいた最終のゲラは今も手元に残しています。こうして完成した『乳がんの人の心と体に 素敵にアロマテラピー』は、私の宝物。この本を残してくださった千葉さんに、本当に感謝しています。私は今も、彼女と一緒に頑張っている気持ちなので、講演やイベントに行く時は、必ず千葉さんの写真を持って行きます。 アロマテラピーは、自分と向き合えるツール 千葉さんと一緒に立ち上げた乳がん患者会「Ruban Rose」は、昨年NPO法人にすることができました。今後はさらに、活動内容を充実させていきます。乳がんの早期発見のための取り組みとしては、銭湯でのアロマ石けん作りや自己触診法の講座、大人のがん教育講座を開催。それから『乳がんの人の心と体に 素敵にアロマテラピー』をテキストとした検定試験の実施や、アロマテラピー講師の方との連携、「Ruban Rose」のためにオリジナルで作っていただいたピンク・クレイを使った乳がん患者さん向けのセルフケア講習会など、新しい活動もたくさん予定しています。アロマテラピーは、心身を癒す高い効果がある素晴らしい手法。使用する精油は分子量が非常に小さいので、生命活動を司る脳にダイレクトに届き、皮膚を通して毛細血管に入り、全身に効果を発揮してくれます。その高い効果を、もっと多くの方に届けていきたいです。 私は長年、「Ruban Rose」の活動をしてきましたが、自立している女性が多いのか、ほとんどの方が講習会に1人で申し込まれます。最初は不安そうでも、だんだん笑顔が出てきて、参加者同士で友達になって、最後は皆さんで楽しくお茶を飲みに行って。私とその人だけの関係で終わらず、他の方と繋がっていく姿を見るのは、とても嬉しいことです。皆で集まる会の間は、病気や辛いことは忘れて、ワクワクする楽しさを分かち合うことを大切にしています。もちろん、病気で本当に気になることは話した方が良いし、個別の相談も受けますが、最終的には病気の治療は自分で決めなければなりません。今はお医者さんも、「どういう治療をしますか?」と聞いてきますし、自分でじっくり考える必要があります。けれど、人は考えれば考えるほど、迷って悩んでしまうもの。そんな時は、何か好きなものに没頭してみて欲しいんです。私自身、悩んだ時は大好きなハンドメイドに集中して、悩みを忘れるくらい没頭することで、頭と気持ちをスッキリ切り替えてきました。だから「Ruban Rose」は、皆で色んなことを楽しむ会にしています。アロマテラピーや手作りの体験を通して、好きなことを楽しむ気持ちや、病気になっても1人じゃないということを、伝えていきたいです。 振り返れば、私が乳がんと言われてから15年が経ちました。病気になって良かったとは言えませんが、「キャンサーズギフト」をたくさんいただいたと思います。仕事一筋の頃は世界が狭かったけれど、病気になって様々な人と出会い、数々の経験をしました。ここまで来るには時間が必要でしたし、時間が解決してくれたこともあります。寒い冬は咲かない植物が、春になったら花を咲かせて、夏には緑になり、そして季節がまわっていく。冬が来れば必ず春が来る。植物が裏切ることなく、必ず芽吹くのを見ると嬉しくなります。看護師時代は感じられなかった自然との繋がりを感じ、「何か人のために、できることがあるのではないか?」と、考えるようになりました。自分でも、ずいぶん人間らしくなったと思います。 最後に、乳がんになった方にお伝えしたいのは、前向きでいて欲しいということです。人は、様々なことが起きて変わっていきます。乳がんだと分かったら、まずは前向きに治療して欲しいし、1人で悩まず相談して欲しい。乳がんは、早く手術して取り切れば問題ありませんし、QOLも下がりません。病院で病気に向き合うのが怖い時は、アロマテラピーも役に立ちます。ハンカチにラベンダーの香りを落として病院に持って行けば、やさしい香りで気持ちが鎮まるので、リラックスして結果を聞き、冷静に判断できるようになります。私には、自分と向き合うためのツールとしてアロマテラピーがありました。何かあった時は、ぜひアロマテラピーを活用してみてください。 <飯田智子さん プロフィール> 2003年、大学病院に看護婦として勤務していた時、乳がんと告知されて手術を受ける。 その後、乳がんの仲間と共に、乳がん患者をサポートする活動を開始。 放射線治療中のほてりを緩和する保冷ブラジャー「パルフェ」の考案・制作や、乳がん患者会「Ruban Rose」でアロマテラピーやハーブを使った「素敵にアロマテラピー」の講演会やがん教育など、多くの活動を行っている。 乳がん患者会・NPO法人 Ruban Rose 代表理事 NARDアロマテラピー協会認定アロマインストラクター NARDアロマテラピー協会認定校 SALON DE SOPHIA 主宰 千葉治子・飯田智子著『乳がんの人の心と体に 素敵にアロマテラピー』保健同人社 PHOTO_Hiromi Ando TEXT_Tomoko Iida

“Scared my cancer will come back”

Breast Cancer Care’s experts answer your questions about breast cancer and its treatment PiNK 2019 Winter p.12 Scared my cancer will come back. Q: I was diagnosed with breast cancer two yeaers ago. I’m already anxious it will come back. Any tips?  A: Nearly everyone who has been treated for cancer worries about their cancer […]

“Cancer has spread to my bones”

Breast Cancer Care’s experts answer your questions about breast cancer and its treatment PiNK 2019 Winter p.13 My cancer has spread to my bones Q: I’ve just been told my breast cancer has spread to the bone. Can it be treated and, if so, what treatment will i need?  A: When cancer spreads to the […]

[Survivor’s Story] Nao Nakajima

※ This article is in Japanese.   PiNK Winter 2019 p.4-p.7 今の自分を好きでいるためにできること それでも、なりたい自分を描きたかった  31歳の春、生活の殆どの時間を仕事に費やし夢中で働いていた時に、乳がんという病気であることが分かりました。結婚、出産、仕事でのステップアップ・・・。私にとっては全てがこれからだと思っていた矢先で、堂々と示せる肩書きも十分なお金もない、ないないづくしの状況。その上、身近ではなかったこの病気は知れば知るほど、ぼんやりと描いていた今後の自分を大きく変えてしまうものでした。  会社に伝えた次の日から、通う先が職場から病院へと変わり生活は一変しました。目まぐるしく押し寄せる病気の情報と向き合う中、頭の片隅で考えていたのは、今までの自分を何か役立たせたいという想いでした。失うものばかりでしたが、ここで自分を止めたくないと、これで終わりたくないと考えていました。私はもっと何かができるのではないかと思いたかったのです。  抗がん剤治療をスタートして3か月経った夏に、その秋の大学院受験に挑戦することを決めました。「手帳に書かれているのは病院のスケジュールだけ。身体が思うように動かないから過ごすのはほとんど家。でも、だからこそ時間だけはある!」と思ったのも大きな理由の1つでしたが、何かをかたちにしたいという気持ちと、その先の仕事を見据えての挑戦でした。  手術のための入院が入試の翌日に始まる、と決まった時には驚きましたが、そこまで駆け抜けるように過ごせたことは良かったのかも知れません。抗がん剤治療の副作用により痺れる手で筆記試験を受け、髪の毛のない頭にウィッグで臨んだ面接の2日後には手術を受けていました。その後の放射線治療中に合格を知った時には、今の自分でも部分的には認めてもらえたようで、今後の生活が少しだけ外と繋がれたような喜びを感じました。そして32歳の春、ホルモン治療の副作用、手術の傷、放射線治療の影響を抱えながらも、か細い毛が生え始めた頭に帽子をかぶって、新しい生活がスタートしました。  大学院では研究の傍、自分のペースを守るしかない身体と相談し、いつか出来るといいなと思っていた関心のあることに次々挑戦しました。歌、スポーツ、畑で野菜を育てることなど、楽しいと思えることを通してリハビリをするような、自分の可能性を探る毎日でした。一度は大きくマイナスに傾いてしまったけれど、それでも挑戦することを増やしていけたら、なりたい自分に近づけるのではと考えていました。 更新され続ける病気のイメージ  大学院生活で、社会との接点が少しずつ増えていくと、がんという病気がまわりにどう映るのかを意識せざるを得ませんでした。特に病名に対する認識の差には驚かされることばかりで、思いがけない言葉や反応に動揺し、傷つくことは数え切れないほどありました。生き難さを感じては、そんな病気を抱えてしまった自分の扱いに戸惑い、病名を誰に伝えるのか、どうやって伝えるのか、その都度悩んでいました。この先、病気になる前にぼんやりと描いていたような生活が訪れるかもしれないから、 病気えお伝えたことが邪魔になってはいけないとも考えていました。その想いは、もうそろそろ良いことが起きてもいいのではないかという淡い期待からでした。  しかし34歳の秋、大学院での学びを活かせる仕事が徐々に現実味を帯びてきたと感じ始めていた頃、他臓器への転移が分かりました。新しい就職への可能性を掴むために挑んだ教育実習を終え、春からの生活に気持ちが向きはじめていた時でした。  病気と分かってから2年半。それまでもステージ3Cというなかなか受け入れがたい病状ではありましたが、これで私はステージ4となったのです。不確かすぎる未来が、さらに見えなくなり、さすがに診察室でも涙がこぼれました。病気に対する恐怖を改めて感じた時でもありました。  転移は、誰もが恐れているというイメージがあったからこそ、がんに関する本を開いても、敢えてそのページを開いたことはありませんでした。自分には関係ないものとして考えていたかったのです。そのため、新たに今の病状と治療の選択肢について知るところから始まりました。再び生活が一変し、様々な情報に混乱する日々。ただ大きく違ったのは判断のスピードでした。悩みはありましたが、迷いはなかったのです。それまでの治療を通して、その時々の問題と納得がいくまで向き合い、自分で決めてきた経験があったからでした。  そうして始まった週1回の抗がん剤治療は、薬の効果があり、2年経った今も続いています。蓄積されていく痺れをはじめとする副作用ともなんとか付き合えているから、通院しながら生活を送ることが出来ています。転移が分かった時には、良い方から悪い方まで、これから起こる様々な状況を想定してみていましたが、今のワクワクと行動し続けられる毎日は想像も出来ていませんでした。自分ががんを患ってからは、その経験が、がんに対するイメージを更新し続けています。 がんを「デザイン」する  大学院で研究していたことはデザイン教育という分野です。デザインとはポジティブな問題解決へ向けてアイディアをを出し行動することで、その考え方をデザインシンキングと捉えます。最初の抗がん剤治療中に「私はデザインシンキングで病気と向き合っている」と気づいたことが、進学を目指したきっかけでもありました。在学中には、心理学の先生や多くのがん患者さんと親交のあるライターさんから「レジリエンス(困難な状況でもしなやかに適応する力)が高いね」「考え方がニュートラル(偏りがない)だね」と言っていただき、がんを抱えながらの生活にデザインが作用しているというその気持ちは強くなっていきました。  20代の前半で『デザイン』、後半で『教育』に仕事で携わってきたこともあり、デザイン教育をもっと広く、異なるかたちで届けていくことも進めている目標の1つです。  病気に対してデザインが効いた代表的なものが、私が頭にかぶっているN HEAD WEARです。転移して直面した問題はいくつもありましたが、当時の私にとって最も辛かったのが、再び脱毛した頭で毎日を送ることでした。そのうえ今回は終わりの約束がない治療です。しかしこの時も、知らず知らずにデザインシンキングを働かせていました。一生髪の毛がないかもしれないという答えが出ないような大問題と向き合い、悩みに悩み、考えに考えてたどり着いたのが「毛にこだわり過ぎているのではないか?」という自分に対する問いでした。当たり前過ぎて疑うことのなかった価値観に縛られていることに気がついたのです。  これからの毎日を考えた時に、今の自分を前提に生活を送りたいと思いました。鏡に映る髪の毛を失った自分の姿を「この姿だって美しいじゃないか。他にも美しい部分は沢山あるじゃないか」という目で見始めるとそう思えてくるから不思議です。美しさも自分で定義すれば良いのだと、何度も強く、自分に言い聞かせていました。そして、その頭を魅せられるアイテムを身につけたいと思ったのです。  今の状況から私は何が出来るのか、どうすれば少しでも心地良くなるのか。治療を決める時や副作用と付き合う時はいつだって「変えられない状況を嘆き続けても何も生まれない。ここからどうするかだ」と常に考えてきました。思うような選択肢がなかった時にも、とことん追求した後であれば、自分の選択に納得がいきました。解決できない問題であるがんに対しても、その時々の条件を前提にアイデアを次々に出す、ポジティブな思考のプロセスは効いていたようです。  この先ずっと「髪の毛がない」という問題は、私に合う選択肢がなかったので自分でつくることにしました。構想時からの目標はメガネです。メガネは視力を補うためのものですが、目が良い人もおしゃれとして身につけるアイテムです。N HEAD WEARも、髪の毛があってもなくても楽しめる新しい頭の選択肢として生まれました。問題を持つ人も持たない人も身に付けたくなるアイテムにより、脱毛や病気に対するイメージをも変えていきたいという想いがこもっています。  商品化してからは、新聞やテレビ、書籍などでご紹介いただいたことから、年代もファッションの好みも超えて、プレゼントとしても、幅広く手に取っていただいています。脱毛症や様々な頭髪の悩みを持つ方から必要としていただけるだけでなく、アパレルショップやスタイリストさんに選んでいただける機会も増えてきています。一歩一歩、想いがかたちになっていくようでとても嬉しいです。 行動したから動き出した  がんをデザインし目指すのは、がんになっても「大丈夫!」と言える社会の実現です。その想いは治療をしながらずっと持ち続けていましたが、2年前の転移からは一気に行動に移してきました。元の生活に戻れるかもしれない、という将来への未練から吹っ切れたことも大きかったように感じます。  アイデアを具体的に言葉にして伝え、出来ることからかたちにしていきます。ただ、1人では時間がかかり過ぎてしまいますし、体力をはじめ様々な制限があることは分かっていました。そこで、ご縁もたぐり寄せようという気合いで、とにかく会いたい人に会いに行き、話を聞いていただく時間を作りました。今以上に現実味なく聞こえる私の話を真剣に受け止め、「いいね」と本気でアドバイスをくださった方達は今でも大切な存在です。何の実績もなく、病気も抱えている私だけど、自分を信じて、まわりを信じて行動し続ける勇気が持てたのです。  そうしてブログで発信を始め、新しく講師の仕事に就き、ブランドを立ち上げ、起業しました。不安はもちろん常にあり、病状は何も変わらないので、安心出来る要素なんて何もないですが、動くしかありませんでした。それが出来たのは、力強く応援し、協力し、支えてくださる方とのご縁を、行動することで引き寄せられたからだと思っています。  その方達と一緒に進められたから、考えられなかったような展開が続々と起こり、現在があります。『いつか』と思っていたことを『いま』少しずつ、すごいスピードで叶えられていっているのです。これから先、また新しく出会う方も交えながら、叶えたいことを一緒に進めていくことを考えるとワクワクが止まりません。現状を大きく変えていくには、人の想いと力が必要だと強く感じています。  関わってくださっている方へ、言葉にはし切れない想いを込めて、ありがとうございます! がんの未来を手繰り寄せたい  N HEAD WEARのような取り組みをQOL(Quality of Life:生活の質)デザインと呼んでいます。それは、自分が辛くなってしまった時でも何とか踏ん張って、自分を諦めずに、私がし続けてきたことです。病気の当事者でもあるから持てる、問題に対するリアリティと切実さ、工夫し続けてきた経験が強みです。  商品としてN HEAD WEARをお届けすることが叶い始める中で、その反応・声から「感動は希望である」ということに気づかされました。自信をなくしていた自分が素敵に見えると、褒めてもらえると、ただただ嬉しく笑顔になれる。それは感動体験であり、現状に希望を持つことに繋がります。私も初めてN HEAD WEARをかぶって出かけた日に、道ですれ違った人から「ステキね」と声をかけてもらえたことは今でも忘れられません。一瞬で不安をかき消してくれました。そしてその後、何年も自分を苦しめてきた頭髪に関する問題が、もはや大きなストレスではなくなりました。髪の毛のない私も好きになれたのです。  希望を持ちたい悩みはまだいくつもあります。脱毛以外にも病気に伴う問題は多々ありますから、衣食住、進めたいアイデアが湧いてきます。もっと変えていけることはあると思いますし、その先に、がんになっても「大丈夫!」と言える生活があるはずです。誰にとっても、どんな状況になっても、今の自分に対する希望は大切だと感じています。 […]