Survivor’s Story: Nao Nakajima

Survivor’s Story: Nao Nakajima

※ This article is in Japanese.

 

PiNK Winter 2019 p.4-p.7

今の自分を好きでいるためにできること


それでも、なりたい自分を描きたかった

 31歳の春、生活の殆どの時間を仕事に費やし夢中で働いていた時に、乳がんという病気であることが分かりました。結婚、出産、仕事でのステップアップ・・・。私にとっては全てがこれからだと思っていた矢先で、堂々と示せる肩書きも十分なお金もない、ないないづくしの状況。その上、身近ではなかったこの病気は知れば知るほど、ぼんやりと描いていた今後の自分を大きく変えてしまうものでした。

 会社に伝えた次の日から、通う先が職場から病院へと変わり生活は一変しました。目まぐるしく押し寄せる病気の情報と向き合う中、頭の片隅で考えていたのは、今までの自分を何か役立たせたいという想いでした。失うものばかりでしたが、ここで自分を止めたくないと、これで終わりたくないと考えていました。私はもっと何かができるのではないかと思いたかったのです。

 抗がん剤治療をスタートして3か月経った夏に、その秋の大学院受験に挑戦することを決めました。「手帳に書かれているのは病院のスケジュールだけ。身体が思うように動かないから過ごすのはほとんど家。でも、だからこそ時間だけはある!」と思ったのも大きな理由の1つでしたが、何かをかたちにしたいという気持ちと、その先の仕事を見据えての挑戦でした。

 手術のための入院が入試の翌日に始まる、と決まった時には驚きましたが、そこまで駆け抜けるように過ごせたことは良かったのかも知れません。抗がん剤治療の副作用により痺れる手で筆記試験を受け、髪の毛のない頭にウィッグで臨んだ面接の2日後には手術を受けていました。その後の放射線治療中に合格を知った時には、今の自分でも部分的には認めてもらえたようで、今後の生活が少しだけ外と繋がれたような喜びを感じました。そして32歳の春、ホルモン治療の副作用、手術の傷、放射線治療の影響を抱えながらも、か細い毛が生え始めた頭に帽子をかぶって、新しい生活がスタートしました。

 大学院では研究の傍、自分のペースを守るしかない身体と相談し、いつか出来るといいなと思っていた関心のあることに次々挑戦しました。歌、スポーツ、畑で野菜を育てることなど、楽しいと思えることを通してリハビリをするような、自分の可能性を探る毎日でした。一度は大きくマイナスに傾いてしまったけれど、それでも挑戦することを増やしていけたら、なりたい自分に近づけるのではと考えていました。

更新され続ける病気のイメージ

 大学院生活で、社会との接点が少しずつ増えていくと、がんという病気がまわりにどう映るのかを意識せざるを得ませんでした。特に病名に対する認識の差には驚かされることばかりで、思いがけない言葉や反応に動揺し、傷つくことは数え切れないほどありました。生き難さを感じては、そんな病気を抱えてしまった自分の扱いに戸惑い、病名を誰に伝えるのか、どうやって伝えるのか、その都度悩んでいました。この先、病気になる前にぼんやりと描いていたような生活が訪れるかもしれないから、 病気えお伝えたことが邪魔になってはいけないとも考えていました。その想いは、もうそろそろ良いことが起きてもいいのではないかという淡い期待からでした。

 しかし34歳の秋、大学院での学びを活かせる仕事が徐々に現実味を帯びてきたと感じ始めていた頃、他臓器への転移が分かりました。新しい就職への可能性を掴むために挑んだ教育実習を終え、春からの生活に気持ちが向きはじめていた時でした。

 病気と分かってから2年半。それまでもステージ3Cというなかなか受け入れがたい病状ではありましたが、これで私はステージ4となったのです。不確かすぎる未来が、さらに見えなくなり、さすがに診察室でも涙がこぼれました。病気に対する恐怖を改めて感じた時でもありました。

 転移は、誰もが恐れているというイメージがあったからこそ、がんに関する本を開いても、敢えてそのページを開いたことはありませんでした。自分には関係ないものとして考えていたかったのです。そのため、新たに今の病状と治療の選択肢について知るところから始まりました。再び生活が一変し、様々な情報に混乱する日々。ただ大きく違ったのは判断のスピードでした。悩みはありましたが、迷いはなかったのです。それまでの治療を通して、その時々の問題と納得がいくまで向き合い、自分で決めてきた経験があったからでした。

 そうして始まった週1回の抗がん剤治療は、薬の効果があり、2年経った今も続いています。蓄積されていく痺れをはじめとする副作用ともなんとか付き合えているから、通院しながら生活を送ることが出来ています。転移が分かった時には、良い方から悪い方まで、これから起こる様々な状況を想定してみていましたが、今のワクワクと行動し続けられる毎日は想像も出来ていませんでした。自分ががんを患ってからは、その経験が、がんに対するイメージを更新し続けています。

がんを「デザイン」する

 大学院で研究していたことはデザイン教育という分野です。デザインとはポジティブな問題解決へ向けてアイディアをを出し行動することで、その考え方をデザインシンキングと捉えます。最初の抗がん剤治療中に「私はデザインシンキングで病気と向き合っている」と気づいたことが、進学を目指したきっかけでもありました。在学中には、心理学の先生や多くのがん患者さんと親交のあるライターさんから「レジリエンス(困難な状況でもしなやかに適応する力)が高いね」「考え方がニュートラル(偏りがない)だね」と言っていただき、がんを抱えながらの生活にデザインが作用しているというその気持ちは強くなっていきました。

 20代の前半で『デザイン』、後半で『教育』に仕事で携わってきたこともあり、デザイン教育をもっと広く、異なるかたちで届けていくことも進めている目標の1つです。

 病気に対してデザインが効いた代表的なものが、私が頭にかぶっているN HEAD WEARです。転移して直面した問題はいくつもありましたが、当時の私にとって最も辛かったのが、再び脱毛した頭で毎日を送ることでした。そのうえ今回は終わりの約束がない治療です。しかしこの時も、知らず知らずにデザインシンキングを働かせていました。一生髪の毛がないかもしれないという答えが出ないような大問題と向き合い、悩みに悩み、考えに考えてたどり着いたのが「毛にこだわり過ぎているのではないか?」という自分に対する問いでした。当たり前過ぎて疑うことのなかった価値観に縛られていることに気がついたのです。

 これからの毎日を考えた時に、今の自分を前提に生活を送りたいと思いました。鏡に映る髪の毛を失った自分の姿を「この姿だって美しいじゃないか。他にも美しい部分は沢山あるじゃないか」という目で見始めるとそう思えてくるから不思議です。美しさも自分で定義すれば良いのだと、何度も強く、自分に言い聞かせていました。そして、その頭を魅せられるアイテムを身につけたいと思ったのです。

 今の状況から私は何が出来るのか、どうすれば少しでも心地良くなるのか。治療を決める時や副作用と付き合う時はいつだって「変えられない状況を嘆き続けても何も生まれない。ここからどうするかだ」と常に考えてきました。思うような選択肢がなかった時にも、とことん追求した後であれば、自分の選択に納得がいきました。解決できない問題であるがんに対しても、その時々の条件を前提にアイデアを次々に出す、ポジティブな思考のプロセスは効いていたようです。

 この先ずっと「髪の毛がない」という問題は、私に合う選択肢がなかったので自分でつくることにしました。構想時からの目標はメガネです。メガネは視力を補うためのものですが、目が良い人もおしゃれとして身につけるアイテムです。N HEAD WEARも、髪の毛があってもなくても楽しめる新しい頭の選択肢として生まれました。問題を持つ人も持たない人も身に付けたくなるアイテムにより、脱毛や病気に対するイメージをも変えていきたいという想いがこもっています。

 商品化してからは、新聞やテレビ、書籍などでご紹介いただいたことから、年代もファッションの好みも超えて、プレゼントとしても、幅広く手に取っていただいています。脱毛症や様々な頭髪の悩みを持つ方から必要としていただけるだけでなく、アパレルショップやスタイリストさんに選んでいただける機会も増えてきています。一歩一歩、想いがかたちになっていくようでとても嬉しいです。

行動したから動き出した

 がんをデザインし目指すのは、がんになっても「大丈夫!」と言える社会の実現です。その想いは治療をしながらずっと持ち続けていましたが、2年前の転移からは一気に行動に移してきました。元の生活に戻れるかもしれない、という将来への未練から吹っ切れたことも大きかったように感じます。

 アイデアを具体的に言葉にして伝え、出来ることからかたちにしていきます。ただ、1人では時間がかかり過ぎてしまいますし、体力をはじめ様々な制限があることは分かっていました。そこで、ご縁もたぐり寄せようという気合いで、とにかく会いたい人に会いに行き、話を聞いていただく時間を作りました。今以上に現実味なく聞こえる私の話を真剣に受け止め、「いいね」と本気でアドバイスをくださった方達は今でも大切な存在です。何の実績もなく、病気も抱えている私だけど、自分を信じて、まわりを信じて行動し続ける勇気が持てたのです。

 そうしてブログで発信を始め、新しく講師の仕事に就き、ブランドを立ち上げ、起業しました。不安はもちろん常にあり、病状は何も変わらないので、安心出来る要素なんて何もないですが、動くしかありませんでした。それが出来たのは、力強く応援し、協力し、支えてくださる方とのご縁を、行動することで引き寄せられたからだと思っています。

 その方達と一緒に進められたから、考えられなかったような展開が続々と起こり、現在があります。『いつか』と思っていたことを『いま』少しずつ、すごいスピードで叶えられていっているのです。これから先、また新しく出会う方も交えながら、叶えたいことを一緒に進めていくことを考えるとワクワクが止まりません。現状を大きく変えていくには、人の想いと力が必要だと強く感じています。

 関わってくださっている方へ、言葉にはし切れない想いを込めて、ありがとうございます!

がんの未来を手繰り寄せたい

 N HEAD WEARのような取り組みをQOL(Quality of Life:生活の質)デザインと呼んでいます。それは、自分が辛くなってしまった時でも何とか踏ん張って、自分を諦めずに、私がし続けてきたことです。病気の当事者でもあるから持てる、問題に対するリアリティと切実さ、工夫し続けてきた経験が強みです。

 商品としてN HEAD WEARをお届けすることが叶い始める中で、その反応・声から「感動は希望である」ということに気づかされました。自信をなくしていた自分が素敵に見えると、褒めてもらえると、ただただ嬉しく笑顔になれる。それは感動体験であり、現状に希望を持つことに繋がります。私も初めてN HEAD WEARをかぶって出かけた日に、道ですれ違った人から「ステキね」と声をかけてもらえたことは今でも忘れられません。一瞬で不安をかき消してくれました。そしてその後、何年も自分を苦しめてきた頭髪に関する問題が、もはや大きなストレスではなくなりました。髪の毛のない私も好きになれたのです。

 希望を持ちたい悩みはまだいくつもあります。脱毛以外にも病気に伴う問題は多々ありますから、衣食住、進めたいアイデアが湧いてきます。もっと変えていけることはあると思いますし、その先に、がんになっても「大丈夫!」と言える生活があるはずです。誰にとっても、どんな状況になっても、今の自分に対する希望は大切だと感じています。

 病気によって予定していた道から外れたと思うと、とても辛いものです。でも、そもそもみんな違うのです。決められた道なんて元からなくて、常に変化していくのが人間です。生きていれば、望まない変化も必ず訪れますが、自分を好きでい続けることは、きっと叶います。

 今、そのままの自分を活かして働けることは、私にとって毎日の大きな活力です。それが自分のためだけでなく誰かの喜びにもつながるということが、強力に私を支え突き動かしてくれています。今の自分にとって必要なこと、大切にしたいことは何か。どうしたら今より心地よくできるか。今後もQOLデザインに取り組み、新しい選択肢をつくっていきたいと考えています。「今の自分を好きでいるためにできること」です。

 そして、5年で長生きと言われた私が、4年半の間ずっと、一番叶えたいと思っているのは、「がんを治る病気にすること」です。 今使っている薬も、必ず効かなくなる時がくると言います。その時、そこに向かって動いてきていなかったら絶対後悔するだろうな・・・と、どうにかならないかと模索してきました。いつだって想いに迷いはありませんし、誰もがそう願っていると信じています。探しても見つけられなかった希望をつくりたい!いつかは治る未来があるなら手繰り寄せたい!仲間を得て、今、その目標に向けても大きく動き始めています。


中島ナオ

ナオカケル株式会社 代表
デザイナー(QOLデザイン)
1982年 神奈川県横浜市生まれ
大学卒業後、空間デザイナーとしてメーカーに勤務
教育系NPO法人へ転職
2014年 がん発症(31歳)
自らの体験を通して「がんをデザインすること」に取り組む
2017年 東京学芸大学大学院 美術教育専攻修了
教育免許(美術)取得
同年12月 ナオカケル株式会社を設立

◼︎Blog: N CANCER STYLE
https://lineblog.me/naonakajima/

◼︎Instagram: @naojima
https://www.instagram.com/naojima/

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