[Survivor Story] 吉田えりさん

[Survivor Story] 吉田えりさん

PiNK 2020 Summer Issue
TEXT: Eri Yoshida
PHOTO: Dai Tsukamoto

偶然をチャンスに変える生き方が好き

小さな異変

あれ、左胸に小さなしこりがある。44歳の時、お風呂に入っていてプクッとした5~6ミリのふくらみを見つけました。触っても痛くないし、小さいし。そのうち無くなるかな?と様子を見てみましたが、そのふくらみは消えませんでした。そういえば、子供を出産して10年近く検診に行っていないなと思い、念のため病院で診てもらうことにしました。

その病院には乳腺外科専門医がいらっしゃいました。何の知識もなく病院を訪ねたので、専門のお医者さんがいるんだ、良かった!と思いました。マンモグラフィック、エコー、レントゲンを撮り、その日のうちに結果を聞くことになりました。医師からは、悪性のしこりではなく、脂肪が固まったもので、将来、悪性になることはないと告げられました。私は「良かった、大したことなくて」と胸を撫で下ろしたのでした。

それからあっという間に一年半が過ぎ、子供も小学5年生となり、手が離れて時間がとれるようになったので、ヴァイオリンの講師と演奏活動に力を入れ出し、多忙な日々を送っていました。しかし、夏休みに家族で旅行へ行った時、なんだかとても体がだるく、夜も眠れないくらいの疲労感に襲われました。家に帰ってきて体調は戻りましたが、何か自分の体に異変が起こっているように感じたのです。

左胸のしこりが大きくなり、左脇にも膨らみがあることにも気が付きました。 その時「乳がん」という言葉が頭をよぎったものの、悪性にはならないという診断を信じ込んでいたので、「いや、大丈夫。でも脇のしこりは何?」と心に影を落としたまま秋を迎えたのでした。

9月の46歳の誕生日のとき、このまま不安を抱えていてはいけない、きちんと診てもらおうと心に決め、乳腺外科専門の診療所に予約を取りました。10月1日、子供の手を引き、楽観的な気持ちと大きな不安を両方を抱えてえ診療所に向かいました。左胸のしこりは大きくなり痛みもあったので、マンモグラフィを撮るのがとても辛かったのですが、良性の腫瘍と思い、心配はしていませんでした。いや、そう思いたかったのかもしれません。名前を呼ばれ診察を受け、私の目を見て先生は仰いました。

「まだ細胞診をしていないから、こんなことを言うのはまだ早いのだけれど、大きな病院でショックを受ける前に言っておくね。僕は多くの乳がん患者さんを診てきた。あなたの左胸のしこりは悪性腫瘍、つまり乳がんの可能性が高い。脇のリンパにも転移していると思う」

青天の霹靂とはこのことね、と頭に浮かんだまま、思考が停止しました。何で?悪性にならないって言ったよね。小さいしこりが小さいのうちに病院で検査したのになぜ?悲しいというより悔しい気持ちが心を襲いました。

「何で?悔しい」と涙をこぼしながら言うと、

「気持ちは分かる。でも今一番にやらないといけないの事は詳しい検査だ。体の他の部位に転移していないか一日も早く調べる事だよ」そして「大丈夫、必ず平和な生活に戻れる。仕事も出来る。諦めちゃだめだ」

先生の畳みかけるような言葉を聞き、これは本当に大変なんだ、命がけなんだ、と感じたのです。

検査

設備の整った病院を紹介していただ頂き、3日後には本格的な検査を始めていました。細胞診、CT、MRI、血液検査を受け、乳がんの説明も丁寧にしていただきました。

乳がんには色々な種類があること。行の度合いや種類によって治療が違うこと。抗がん剤治療を先に行うと腫瘍が小さくなる可能性があることなど。一番私を前向きにさせてくれたのは、抗がん剤の治療をしながら仕事が続けられることでした。「是非、働いて」と先生は言ってくださいました。仕事は続けられる、少し辛いけれど頑張ろうと希望を持ったのです。

新たな壁

細胞診とCTの結果を聞くため、外来を訪れました。その時の不安な気持ちは今でも忘れられません。他の部位に転移していたらどうしよう。助かるだろうか?恐ろしくてその場を逃げ出したくなりました。診察室に入った時、先生の顔が強張っているのが分かりました。私は恐るおそる椅子に座り、先生は口を開きました。

「これを見て下さい」

CTの画像が写り、お腹の中だとわかりました。体の真ん中に大きなものが見えます。胃だろうか、と思っていると、

「この白い物、体の中にあってはいけないものなの。本来、お腹の中にないものが写っているの」

えっ!こんなに大きくハッキリ写っているもの、内臓ではないの?

「腫瘍だと考えられます。多分血液のがん、悪性リンパ腫ではないかと」

血液のがん?乳がんを検査していて他の種類のがんが見つかったのです。私の心は凍り付きました。

「あとどれくらいで死にますか?」その言葉しか出てきませんでした。

「それはまだ早い。調べましょう。明後日から検査入院して」と先生に伝えられましたが、人間は大きなショックがあると、それを受け止めるのに時間がかかるのですね。「仕事があるのですが」と答えていました。「仕事と命、どっちが大事?」と言われても、悪いことが次から次へと起こり、気持ちがついていかない。

気が付くと、廊下で友人に電話をかけていました。仕事を代わってもらえるように頼み、病院での経過を話し終えると、涙が止まらなくなりました。私、だめかもしれない。電話の向こうで「大丈夫だから、きっと大丈夫」という声が遠くから聞こえたのでした。

涙を拭いて

検査結果は、乳がんがリンパ節まで転移し、ステージⅢB。悪性リンパ腫はお腹の腫瘍を取り、もう一度細胞診をしなくてはならず、左胸全摘とお腹を切る手術を同時に受ける事になりました。

手術は5時間あまり。術後に目を覚ますと、医師から「大丈夫。ヴァイオリンは弾けるから」と言われ、ほっとしました。良かった。しかし、全摘した左胸を見ることがはなかなかできませんでした。体を拭く時、自分の体がどうなったのか改めて確認しました。そして、失った左胸のことは、今は考えないようにしよう。これからの治療を乗り越えることだけを考えよう。後ろは振り返らず、前だけを見て進もうと心に決めたのです。

抗がん剤治療

悪性リンパ腫はステージⅣA。骨髄に転移していました。しかし運の良いことに、悪性リンパ腫で使用する抗がん剤と乳がんで使用するものとがほとんど同じ薬だったのです。R-CHOPという治療でした。この抗がん剤治療で両方のがん癌を治せる。しかし、一種類の錠剤を含める4種類の抗がん剤と吐き気止めの点滴を一日で打つのに6〜7時間かかります。朝一番に病院へ行き、病院の電気が暗くなったあと、一番最後に帰るというスケジュールを21日に一度、合計で8回行いました。

副作用は様々な症状がありました。脱毛、吐き気、下痢、便秘、味覚障害、むくみ。体が鉛のように重だるくなり、思うように動けない。水を飲むと変な味がして飲めなくなり、一回抗がん剤を打つごとに体力と、気力が奪われていきました。

髪は抜けることがわかっていたので、治療に入る前にベリーショートにカットしました。大変だったのは抜けた髪の処理。枕や衣服に着いた髪紙をコロコロころころで取るのも体がだるくて時間がかかりました。でも、頭がスキンヘッドになると「この頭もカッコいいかも!」と結構気に入っていました。あるアメリカの映画で主役の女優さんがスキンヘッドにしていたので、女優気分!

ウィッグもお洒落な髪型にしたくて、ネットでファッションウィッグを購入しました。人生初ロングヘアに挑戦したのです。カールの入ったふんわりロングを楽しみました。帽子も好きだったので、キャスケットやベレー帽をかぶって気分転換しました。少しでも体が動く時は料理をしたり、DVD鑑賞をしたり、かなり前向きに気持ちを持っていたと思います。そんな私も8回目の抗がん剤を打つ頃には、ほとんど起き上がれず、死ぬことを考え、何も出来ずソファに横たわり、窓から見える抜けるような青空を見つめるだけの日々になりました。体力がなくなると泣くこともできないんだと、すっかり元気をなくしていたのです。

重なる副作用

R-CHOPが終わり、乳がん治療のための抗がん剤が一種類残っていたので、すぐに4回打ちました。R-CHOPからみたら副作用も軽く楽だとほっとしていたら、だんだん背中が痛くなり、一時入院となってしまいました。この痛みは全身を襲い、数年間取れず、一番辛い副作用となってしまいました。痛み止めを服用しながら放射線治療を約一カ月間毎日通い、私のがん治療は一段落しました。検査でがんが見つかってから一年以上が経過していました。

健康な体へ

幸い乳がんの転移は見られず、悪性リンパ腫の腫瘍もほとんど消えていました。その後はホルモン剤を飲むだけとなりました。ホルモン剤は食欲がなくなるという副作用がありましたが、これは食生活を見直すきっかけとなり、高たんぱく質、栄養価の高い、体に優しく胃に負担のかかりにくい食品を摂るよう心がけました。病気になったことは心身ともに大変な負担がかかりましたが、自分の生活スタイルを見直すきっかけになったと思います。

子供へ

がんが見つかって治療以外で大変だったのは、子育てです。私がお世話になった病院には「チャイルドサポート」というシステムがあり、子供に合わせて親の症状を子供自身に説明し、心のフォローをしていただきました。

治療前は病院の手続き、入院準備や検査、保険会社への書類作成等、目の回るスケジュールだったので、子供と向き合うというのは大変なことでした。何と言って伝えようか、ショックを受けないかと心配でたまりませんでした。しかし、伝えるということは一番大切なことだと思います。第三者から伝えてもらうということは、自分自身が感情的なになった状態で子供と話すより、プロが言葉を選んで話していただく方がお互いの為にとてもよかったと感じています。検査入院の時すぐに担当の方が来て下さり、本当に心強かったです。

生きる

一年間の治療は嵐のような日々でした。出来るだけいつもの日常の生活を送ろうと思っていましたが、実際には体力、精神共にアップダウンが激しく、人生のどん底に小さく体を丸めて嵐が過ぎ去るのをじっと耐えるように過ごしました。しかし治療が終わり嵐が過ぎ去ると、生きていることに感謝しなくては、と心がだんだんと上向きになっていきました。

仕事を少しずつ再開すると、自分の生きている意味を考えるようになりました。助かった命をどう生きていくか。自分の経験を伝えることで、乳がんの事を多くの人に知ってもらいたいと考えるようになりました。セカンドオピニオンの大切さ。乳がん検診を毎年受けることの大切さ。早期に発見すれば、治療も楽になる。何より、自分の体の感覚を信じてほ欲しい。おかしいな、と少しでも感じたら病院へ行ってほしい。そして、もし乳がんが見つかったとしても、希望を持って、勇気を出して治療に臨んでもらいたいのです。

新しい挑戦

私は一つの行動を起こすことを決めました。自分と同じ思いをした女性たちに、メッセージを送ろう。「髪を失っても、体に傷が残っても大丈夫。輝けるよ」と。

ヴァイオリニストとして、音楽で傷ついた人の心を癒すことは続けたい。でも、全く新しい世界にも飛びこんでみたいという思いがありました。私の姿を見てもらって、希望を持ってもらいたかったのです。

新しいチャレンジとして、ミセスコンテストにエントリーしました。コンテストではハイヒールを履き、イブニングドレスを身にまとってウォーキングをし、自分の考えをスピーチしなくてはなりません。体力、筋力が低下していたので、体操や家でできる筋トレを少しずつ始めました。髪はウィッグの髪型をアレンジしておしゃれ感を出しました。ドレスの左胸にはストッキングを丸めた物を入れてふくらみを出し、肩と腕が出るデザインを選び、おしゃれを諦めないで!とアピールしました。スピーチでは自分の病気を告白し、共に一歩を踏み出しましょう、と呼びかけました。

このことがきっかけとなり、「私もウィッグでオシャレをしようと思いました」「検査に必ず行きます」「治療、頑張ってみます」と声をかけていただきました。本当に嬉しかった。勇気を出してチャレンジして良かった、と私自身が皆様から元気をもらうことになりました。

今はモデルを目指しモデルウォーキングのレッスンを受けています。夢はモデルウォーキングの講師になること。体や心にハンディがあっても大丈夫だよ、と生徒さんの心に寄り添える人でいたいのです。そして、笑顔になってもらいたいです。

がんは一生の病気です。いつ再発するかわからない。だからこそ、今の一瞬一瞬を一生懸命生きることに意味があると思うのです。ヴァイオリンとモデル、両方なんて欲張りかなと思いますが、与えられた命を大切に、前を向いて一歩一歩、進んでいきます。

吉田 えり Eri Yoshida

1966年9月20日 東京都出身 桐朋学園大学音楽学部卒業
ウィーンサマーセミナーにてディプロマ取得。ヴァイオリニストとして活躍。
2012年にステージIIIBの乳がんとステージIVAの悪性リンパ腫を発症。
左胸全摘出・リンパ節切除手術を受ける。
現在ヴァイオリニスト、モデルとして舞台に立ち、自分と同じ経験をした女性たちにエールを送る活動をしている。



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