[Survivor Story] 太田由貴子さん

[Survivor Story] 太田由貴子さん

キャンサーギフトという言葉はがんになったからこそ得られたものという意味で使う言葉です。告知から2年経ち、気が付いたら、今がんになったからできるようになったこと、出会えた人、新しい視点がどんどん増えていたことに気がつきました。

私のがんが発見されたのは2年前の3月の終わりのことです。それまで育児で仕事を離れていましたが、再び仕事を始めたのをきっかけに検診を受けた時でした。最近少し貧血のような倦怠感があって、この際一度色々と調べてみようと思い、エコー・マンモグラフィーの検査をしました。その3日後、携帯に電話がかかってきました。

「胸にあきらかなしこりが見られるので、至急入院ができるような大きな病院へ行ってください」

次の日、紹介状を持って病院へ行くと、先生がエコーの画像を見ただけで「悪性ですね」と判断されました。腫瘍がかなり大きいとのこと、至急その日から受けられる検査を全て入れてくださいました。

私はそれまで風邪もほとんどひかず、自分自身の健康体を自負していたので、本当に「まさか私には」という心境。頭の中が真っ白になりその日どうやって帰ったかも思い出せないような心境でした。夫と息子がいるのですが、その日2人には何も伝えられませんでした。

” 私はそれまで風邪もほとんどひかず、自分自身の健康体を自負していたので、本当に「まさか私には」という心境 “

ちょうど小林麻央さんの乳がんがテレビで報道されているタイミングで、辛辣な心境を抱いていたさ中、まさか自分が同じ病気に・・・。子供がまだ小さいのにどうしよう。当たり前のようにこの先もずっと続くと思っていたものが急に見えなくなったような気がしました。

状況を夫に話せたのはそれから2日後でした。明日から4月、新しい職場へ出勤するために準備していた夫にこのような話をすることも心苦しかったのですが、

「どうやら がんみたいなんだよね・・・。それも結構進行しているようで」

その時夫は、実父をがんで亡くしている経験もあってか意外にも平然とした口調で「まだそんなに進行しているようには感じない、危惧しても仕方がない」という動じない姿勢だったような気がします。治療中もその姿勢は変わらず、いつもとさほど変わらない生活を過ごせていたことで私自身も平常心を保てたように思います。

その後、義理の母に相談した際には「義理母ぐらいの年代になると、がんに限らずみんなそれぞれ何かしら持病のようなものをもっていたりする、今は医療も進んでいるし、そんなに心配しなくてよい」と応援してくれました。ただ息子に対してはどうしてもまだ「がん」ということを伝えることができず、その後も長い期間を過ごしてしまいました。

“治療中もその姿勢は変わらず、いつもとさほど変わらない生活を過ごせていたことで私自身も平常心を保てたように思います”

その間に針生検の正式な結果をいただき、結果は「浸潤性乳管癌 ホルモン陽性 Her2陽性 ステージ3」というものでした。病院から以下のような標準治療を提示され、 まだ根治を目指せるという希望を与えられました。

・化学療法 AC×4回
・合間にジーラスタ投与
・化学療法 パクリタキセル x 12回
・分子標的治療薬 ハーセプチン術前x 12回
・全摘手術 入院11日間
・放射線治療×30日
・分子標的治療薬 ハーセプチン術後x 18回
・ホルモン治療5年 (処方薬名 ノルバティクス)』

その後、がん治療を専門とする病院へ転院し、化学療法から治療がスタートしました。化学療法にあたっては、脱毛をはじめ様々な副作用についても、最初は不安ばかりがつのっていました。

友人の中にもまだがんになった人を知りませんでしたし、両親もがんとは無縁。自分がこの先どのようになるのか具体的に想像できるのは、ドラマや映画などに出てくる入院による抗がん剤のイメージや死のイメージでした。すぐそばに同じような経験をしている方がいて、その人が治療をしながらも自分らしく生活ができている様子を知っていたら、ここまでの不安はなかったのかもしれないと今では思いますが、この時は急に自分だけが別世界に入り込んでしまったようなそんな孤独感がありました。がんになって良いことなんか何もない、そんな心境でした。

そんな中ついに、治療がスタートしました。
ACといわれる化学療法を3週間おきに4回投与する治療は、倦怠感と吐き気、肌の黒ずみ、脱毛があり、体調的にも精神的にも一番大変な治療でした。さらに免疫が下がり過ぎるのを防ぐため、翌日にジーラスタという注射を打ちに行く通院が一番体力的にも辛かったです。感染症を気にして、外出もなるべく控えたりしていました。

最初はそのようにびくびくしながら生活していましたが、続くパクリタキセルとハーセプチンという化学療法は、手足のしびれはあるものの、さほど倦怠感もなく、慣れとともにだんだんと日常の生活ができるようになっていきました。付き添いがなくても通院の電車で気分が悪くなることもありませんでしたし、その後、化学療法をしている方には仕事と両立している方もいることを知り、最初に抱いていたイメージとは異なり、化学療法といっても日常生活を普通に送れるものだという自信が湧きました。

半年に及ぶ術前化学療法が終了し、検査をおこなったところ、腫瘍は0.03mmにまで縮小しほぼ消滅といわれました。

自分の身体の中のがんが縮小していく体験をしたことで、現在の医療や周囲の方への感謝の気持ちを持つことができました。私自身は何をしたわけではなく、多くの方が関わってくださり、支えてくださり、医療を提供してくださったことで、再び希望を与えていただいた体験でした。

その後の手術、放射線治療、化学療法を終えるころには、最初に感じていた、がんになってよいことなんか何もないという心境から、多くの感謝の気持ちを抱けるようになっていました。

しかし治療をする中で、ネックとなっていたことは、そのころ低学年だった子供にがんをどう伝えたらよいかということでした。このことに悩んでいたときに CLIMBというプログラムに参加させていただき、この中で同じ境遇の人たちとの多くのつながりができました。

テレビでがんのことが報道されていたタイミングでもあり、私は子供と少し前にがんについて質問をされ、何の気なしに、「がんは怖い病気」というような話をしてしまっていたところでした。まさかそのがんになってしまったということを伝えたら、子供に大きなショックを与えてしまうのではないかと思い、私は治療中ずっと「がん」という言葉を伏せ、「ポリープ」とし、うやむやにして過ごしていました。

いつか必ずわかることだし、隠すのはよくない。ただどう伝えたらショックを与えないか、よくわからなかったというのがあります。

プログラムに参加する中で、子供に隠すことの弊害を知りました。子供にきちんと話し、協力を仰ぐことで、彼らには思っているよりも受け止める力があることを教わり、伝える前に比べ、伝えた後の方がとても楽になりましたし、子供自身も協力的になってくれました。

プログラムには、同年代の同じような悩みを抱えた方が来ていて、親同士も子供たち同士もまた同じ境遇であることからすぐに打ち解け、心境や悩みを共有する場を持つことで気持ちが前向きに変化しました。

一言でがん患者といっても本当に様々で、子育て世代で同じような状況の人に相談したいと思っても、出会える機会を見つけるということは本当に難しいのですが、つながることができたのはとても貴重な時間になりました。この時の出会いから、『MotherForest』という名前の患者会をつくって、新たにがんになった方へ共有の場を提供し続けています。

“彼らには思っているよりも受け止める力があることを教わり、伝える前に比べ、伝えた後の方がとても楽になりました

キャンサーギフト(がんになったからこそ得られたもの)という言葉を知ったのもこのころですが、確かに、気が付くと、がんになってから出会うことができた人、新しい視点、機会がどんどん増えていました。身体が、がんにむしばまれていったとしても、かわりに増えているものがあるなら、なんとなく安心します。「失うものばかりではなく、悪いことばかりでもない」 このことに気が付けたのは、こうしたつながりの場で周囲の方に身をもって教えていただいたからでした。

このように、私にはがんになってからの出会いから得たキャンサーギフトがいくつかあります。一つ目は、MotherForestをはじめ、同病の方とのつながりでした。告知を受けた時は一人だけで戦っているような気がしましたが、気がついたら多くの方が同じ方向に向かって走っていたということに気づきました。そしてこれからも5年~10年とがんと向き合いながら過ごしていく中での同志を得たと勝手ながら思っています。

二つ目は、ご縁があって、がん患者のつながるアプリtomosnote開発責任者のAFLACの田中麻衣さんに、患者という目線からご協力をさせていただく機会に恵まれたことです。こちらを利用する中でも、つながることによって多くの安心や励まし、心の余裕、時間を得るという体験ができました。

今はネットでどんなことでも調べられる反面、どれが正しい情報なのかわかりづらく、告知後の最初の段階で信頼できる情報へたどり着けることがとても重要だと思います。がんになってしまった方を支えようと、日々試行錯誤してくださっている方々がいることに勇気づけられ、励まされます。

最後に、挙げられるキャンサーギフトは、こどもの成長の場面が見られるようになったことです。がんということを伝えたあとの子供は、以前より協力的な姿勢をみせてくれることが多くなりました。家事の手伝いなども以前にくらべ、少しではありますが、積極的にしてくれるようになっています。テレビでがんに良い食べ物などを聞くと、すかさず教えてくれたりしますし、学校での福祉関係の授業も興味を持って取り組んでいるように感じます。ほんの少しではありますが、がんになったことが新しい変化をもたらすギフトになっていると確かに実感しています。

毎年多くの方が新たにがんになり、毎日どこかでがんの告知を受けている方がいて、その人が私と同じようなショックを受け、絶望や、悲しみや、混乱の中にいるとしたら、今後は私自身が経験した体験から、「決してがんになったからといって悲しいことばかりではない、がんになったからこそ得られることもある」という励ましのメッセージを、ぜひ一人でも多くの方に届けていきたいと思っています!

誰でも起こりうる、がんと向き合う期間を一つのライフステージととらえて、その期間をもっと充実して前向きに過ごせるようなお手伝いができたらと願っています。

“私自信は何をしたわけではなく、多くの方が関わってくださり、支えてくださり、医療を提供してくださったことで、再び希望を与えられた体験でした”

<太田由貴子さん プロフィール>
外資系金融会社勤務後、出産、育児を経て2017年3月に乳がんが発覚。

治療終了中に知り合った同じ境遇の友人と患者会「MotherForest」設立。

現在は、一般社団法人PlusLifestage代表として、がんの告知を受けた方へ、告知後の動揺を軽減できるように、応援メッセージとともにガイドブック・プレゼントを贈る「CancerGift」や、健康不信率向上のため、健診後にプレゼzんとを贈る「Well Mileage」(ウェルマイレージ)をクリニック等と連携して行う。また、辻村ともこさん、MotherForestの友人と共に「なんでも相談できる東京都狛江市患者会」を設立。  

PHOTO_Lynlee Otto
TEXT_Yukiko Ota



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